僕らの五感ってね。
あまりに身近にあるもんですから、
どうしてもこの五感で捉えた世界の中に埋没しちゃったりするんですけどねー。
ホントはその五感を通した世界って、全然ホントの世界じゃないんですよ。
でも、なぜかそれが唯一無二の世界やと勘違いしとったりするんですよね。
アホか
五感を通した世界が世界じゃないなんて、じゃあ何がホントの世界やねん!
って思われるかもしれませんけどね。
五感って完全に個人差があるじゃないですか。
人間同士だけでも結構な差がありますが、
それが全ての生物まで範囲を広げると、生物ごとに五感の働きは違って来ますのでね。
各々の世界は違ってくるわけなんです。
とあるノミはね。
温度だけを感じることができるらしいんですけどね。
普段はどこか木の上あたりでじっとしてるらしいんです。
で、動物が木の下を通る時に、その温度を感じてピョーンと飛び移るんですね。
で、血を吸うわけです。
僕らから見ると不便に感じるかもしれませんけど、それは一方的な見方です。
ノミにとっては前後左右や時間の感覚も不必要なもんで、
逆に前後左右の三次元の世界は不合理で不便やで!
ってなもんかもしれませんねー。
ちなみに、シマウマのシマシマは天敵から見ると草の茂みと同化して見えるらしいですね。
シマウマの天敵である肉食獣は僕らとは違う色の認識をしておるっちゅうわけですね。
ちなみに我らがネコさんたちは、色よりも暗闇でよく見ることができたり、動体視力の方を優先しておるらしいです。
なので、暗闇では人よりも何倍もよく見ることができますし、
素早く動くものもより正確に捉えておるわけです。
そもそも、色だって光の強弱でしかありませんし、
人が見ることはできない光だって沢山あるわけです。
紫外線とか赤外線とかね。
またその光を色として脳内で変換してイメージ化してるだけですのでねー。
つまり、僕らが五感を通して見てる世界というのは脳内のイメージなわけなんです。
そしてこの五感を通して認識をするという変換器に対して「自分」という観念を引っ付けとるんです。
ちなみに霊的な能力とか言われとるやつってのは、僕の仮説では五感以外で感覚した世界なんやろなぁーと思っております。
僕も体験として、時空のない世界を体験したことはあるんですよね。
結構何回もね。
五感を通した世界では時間の感覚や空間の感覚があって、自分という中心点と対象という相対的な関係性があるわけですけど、五感を通さない世界は、
まさに、
「私はあなたで、あなたは私」
なんですよね。
時間も空間もありませんので、ダイレクトに一つであり、その一つがまさに自分自身であって、今しかないわけです。
そして前世と言われる世界も、今、起こっていて、同時に五感を通した世界も認識できるし、全てはエネルギーであって、固定の自分はいてませんので、いろんな人の感覚も同時に感じられる。
みたいな感じなんですよねん。
今は時間がない中で常に変化をしますので、前世も都度変わるわけです。
その感覚からみると、五感の中の世界はものすごく制限された点のようなもんに感じられるんですよね。
ま、この辺の世界観はあまり詳しく書くのはやめておきますけど、
よく表現されてる、いわゆる「悟り」の表現とすごく似てるんですよね。
言葉では表現できないですし、全ては一つですし、ダイレクトですし、全部はエネルギーであって、時間も空間もなく、この時間と空間というイメージが分離感を作ってただけだってことも明らかになるわけなんです。
分離感が時空を作るのか?時空が分離感を作るのか?は
鶏が先か卵が先かみたいな感じなんですけどね。
ま、どっちが先というわけではなく、同時なわけですけど。。。
なので、「それ」の表現と一緒になるんですけど、
その時に、もういっこ気づいたことがあるんです。
それは、どんな感じ方もそれを観念化した時点で、その観念の中に閉じ込められるんだー!ということです。
別にそれが悪いことじゃないんですけど、その観念は単なる勘違いでしかないんやなぁ。ということです。
観念(かんねん)とは、単なる概念(がいねん)、つまり判断された世界に、
ホンマや!というリアリティをくっつけたもの。
みたいな意味合いなんですけどね。
つまり、
五感で感じる世界もそれが世界なんだと観念化した時点で、その観念に取り込まれますし、
いわゆるワンネスもそれがまるで五感の世界よりも優れた上の次元の感覚なんだ!と観念化した時点で、結局観念という分離の世界に取り込まれることになっちゃうんですよね。
だから、なんか自分に霊的能力があって、
「あなた、私のいうとおりにしなきゃ地獄に落ちるわよ!!!」
みたいなこと言ってはる人も勘違いなわけですね。
ホントはワンネスの世界も、五感の世界もなく、単に観念化されたもんを世界化しとるだけで、その観念が分離を生み出しとるだけやん。
っていうね。
で、このリアリティという作られた設定が単なる勘違いだと見抜かれると、
起こってることに正しいも間違いもなく、単に起こってるだけ。
となり、
本来の何にもなさが明らかになると同時に、
何にもなさは全ての起こってることと同じってことになって、
あーーー!
ぜーんぶ自由なんやーん。
っていう自由さが明らかになるんです。
何も間違いじゃなく、何も正しくない。
だから良い!
なので、嬉しいこともありゃ苦しいこともある。
だから良い!ってことですね。
あとは、ノリに乗っかればええんです。
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