Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

平安を旨にオモロイを遊ぶ

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はじめに

ほい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

好きな句は、
「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな 」

です。

もーひとつ好きな句は、
「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり」

皆さんはどんな句がお好きでしょうか?

 

マインド主義

さて、
僕らはついついマインド主義で生きてしまいます。
マインド主義とは、僕が今勝手に作った主義ですが、
要するに、概念をつかってこねくりまわされた世界観に生きる。
みたいなことです。

概念をこねくりまわされた世界というのは、
思考や感覚によって判断された世界ですね。

ですが、この世界にずっと生きていると僕らは消耗してしまいます。
なぜなら、この世界観はずっと頭の中で作られ続けるストーリーですからねー。
このストーリー作りにものすごく大量のエネルギーが消耗されるんです。

お子さんがおられる方はよく知っているかと思いますが、
子供のエネルギーってすごいじゃないですか。

なんでこんなに元気なん??

って思いますよねぇ。

あれって、もしかしてあまりマインドによる世界を作ることに
エネルギーを消耗してないからなんじゃないだろうか?
なんて思ったりもするんですよね。

僕ら大人は、マインド世界。
特に、問題だらけの世界によって、
ものすごく消耗しちゃっておるのかもしれませんねー。

外を見るでもなく、内を見るでもなく、ただあってみる。

よくね。このブログでも、
ただ観てみたらいいとか言ったりしていますが、
それは、別に自分の内側を丁寧に観察するということでもないんですよね。
【ただ】観てみる。この【ただ】が結構大事でしてね。
それはフォーカスしない。
ということともちょっと似ているんですよね。

外を見るでもなく、内を見るでもなく、ただあってみる。
なんかそんな感じです。

この感覚、子供の頃はよくあったと思うんですよね。
目の前のことにすっかり夢中になっているあの感覚です。

ただゆったり、風を感覚を感じている時。
草の匂いを感じている時。
そんな時、もう自身は風そのものですし、草そのもの。
私と風の境界線もない、ただ在るっていう感覚ですらない「これ」です。

マインドを通さずにただあってみることによって、この全てと一緒になるんです。

平安を旨にオモロイを遊ぶ

大人になった今でも、息を飲むような地平線を目の当たりにした時、
うららかな風をただ感じている時、
焚き火を見つめている時、
静かな波音と一緒にうつらうつらしている時。

なんかそんな時に、感じるなんでもない、ただ在るって感覚ですね。
そして、これこそが平安であり、僕らの平安はマインドが働いていない時、
常にここに在るんですよね。

僕の場合は、ゲームに熱中してる時もまさにコレだったりします。

でね。
冒頭の句ですよ。

「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな 」

春の静かなゆったりとした波の音。
コレがまさに、平安って感じがするんですよね。

そして、この平安こそが全てで在ること。
あらゆる思考のストーリーにわざわざ組み込まれなくても良いということ。
この平安を感じながらも、

「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり」

ってねー。
なんでもないものを、マインドでもって面白くすればいいじゃん!

ってねー。
思うわけでござります。

いずれにしてもね。
あらゆる思考のプロセスやストーリー。
これらよりもまず、平安が先立っているんですよね。
元にあるのは常に平安なんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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