はじめに
はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
僕は大体ブログの記事執筆はカフェでやることが多いんですけどね。
今日も、カフェにてつらつらと書いているわけですが、
なんかねぇ。
隣に座ってる女子高生2人組がですね。
ずっと、
「クサ〜。クサ〜。」
って言ってるんですよ。
「え!クサイ????マジで???もしかしてワシ???」
ってちょっとテンパリそうになったんですが、
なんか匂いがクサイ!って感じじゃないんですよね。
「○○○なんだよ!」
「え〜!クサ〜!」
「あいつがさ〜。○○でさー!」
「クサ〜!」
って感じの会話なんですね。
というわけで、ワタクシも合点が行きました。
そうか、
匂いがクサイからクサ〜!と言ってたんじゃなくて、
草(くさ)って言ってたんですね。
つまり、ウケる〜!ってことですね。
いやぁ〜。僕みたいなおじさん世代では、ネット用語を言葉でいうなんて、
クソダサイ!みたいなイメージがあるから、
草〜。とか、どうしても言えっこないなぁ。
精一杯頑張って、ウケる〜!だったんですけど、もうウケるも言わないんでしょうかねぇ。
ま、僕が、クサ〜!とか言い出したら、おっさんが無理をしている!
と思ってくださいませ!
・僕らの言葉は鳴き声と一緒
さてさて、
一休さんはカラスの鳴き声を聞いて大悟した!なーんて言われております。
実際に一休さんがカラスの鳴き声をどう感じたのかは知りませんが、
僕らが話している言葉。
コレもまさに、本質は単なる鳴き声なんですよね。
そして、この鳴き声は、誰かと話すときだけじゃなく、
頭の中にも、音無き鳴き声としてこだましています。
そんな頭の中の鳴き声を常に身近で聞き続けているのもまた自分自身なんですね。
そして、この鳴き声の意味に、一喜一憂するわけです。
意味は本来、存在しない。
そして、どうすれば、頭の中の鳴き声をコントロールできるようになるのか?
なんてことも求めたりするわけです。
はたまた、頭の中に起こる質問の答えを望み、その答えを探究し続けるわけです。
ですが、本来、これらの鳴き声に意味はありません。
そもそも、この世界のあらゆるものにも、意味は存在していないんです。
僕らは鳴き方を覚える時に、その鳴き声に意味づけという本来は存在しない仮想の概念を付け加えて、セットで覚えてきたんですよね。
そして、この鳴き声を組み合わせることによって、よりバリエーションに富んだ意味づけを頭の中だけで連想する。
そんな技術を磨き上げてきたわけです。
意味づけには架空の分離が必要となる
何かに意味という概念をつける時、ここに分離が発生するんです。
意味とは、何かを個別化したり固定化したり、特定したりするのに使います。
なので、これとこれ以外という分離が発生するわけですね。
ですが、この意味も分離も実際に発生するわけではないんです。
イメージの中でそうみなしているだけなんです。
意味づけられたストーリーにはなんのパワーも存在しない
だから、意味づけられたストーリーには実際にはなんのパワーもありません。
ですが僕らは、このストーリーのパワーに圧倒されそうになり、
まるで自分が飲み込まれそうになったりして、恐怖や不安を感じたりするわけです。
この恐怖や不安は、分離から生じているとも言えますが、
この目に見えないパワーは、あなた自身のパワーでもあるんです。
なぜなら、ストーリーには一切のパワーは存在しないからです。
否定的なエネルギーに自分が苦しむ時、それは、あなたがあなた自身を否定することで苦しみを生んでいます。
それは、自分で自分を鞭打つ行為と同じなんですね。
本来は存在しない意味によって、自身のエネルギーを自身に向けて放っているんです。
まずは、「これでいいのだ!」からはじめよう!
なので、まず、あれこれと悩む前に、
自分に鞭を打つことを止めること。
ここから始めないと、悩みの本質はみえてこないんです。
では、どうすれば、鞭打つことをやめられるのか?
というと、
どんな思いが起こっていたとしても、足りないと思える自分がいたとしても、
「これでいいのだ!」
ってね。その思いに声をかけてあげること。
その思いが起こってることを許してあげること。
これが、最初の呼び水となってくれるんですよねん♪
そして、本当に良いんです。どんな思いがあろうとね。
それは音すらしない鳴き声に過ぎないんです。
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