Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

現実と夢、そして催眠。

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現実と夢、そして催眠は同じようなものなんですよねー。

これらって、ぜーんぶ自分の中のイメージを見てるわけですからねー。

良い学校を出て、ちゃんとした会社に就職して、出世してっていうのが良い人生なんだー!なーんていうのは全くの幻想に過ぎないのと同じですね。

それを現実だとしている人もいるわけですし、
全く違う価値観を現実だとしている人もいるわけです。

宗教や教義も沢山ありますしね。

 

こういった現実も、寝ている間に見ている夢も、そして催眠も
ぜーんぶ一緒のようなものなんですよね。

つまり、イメージだということです。
そして、僕らはこのイメージと現実との区別は出来ません。

だから、夢を見ている間はそれを現実だと認識しますし、
目が覚めて、
「ああ夢だったのか!えーっと今日は何曜日だっけ??」
となった時点で、次は起きている間に見ているイメージを現実だと認識しますし、

催眠にかかったなら、その催眠のイメージを現実だと認識するわけです。

つまりね。
全ては幻想、イメージだということなんですよねー。
でね。このイメージに「これは現実」だという感覚を後付けしてるというわけです。
つまりね。
現実というものは無いんです。

イメージの共有や共感はありますよ。
僕らは、このイメージの共有で社会を作り上げているわけですからね。

だから、お金が使えるわけですし、法律を作って秩序を作っているわけですから。

でもそれが現実だというわけじゃなく、単にそう言ったイメージを見ているだけ。
イメージしてるだけってことなんですよねー。

つまり全ては幻想だー!なんてことになるわけですが、
全ては幻想なんです。っていう言葉はね。
現実なんてもんは無いねんで。
っていうことでもあるんです。

幻想なんて聞くと、そうじゃない真実がどこかにあるように感じたりしますけど、どこかに幻想じゃない真実があるわけじゃないんですよね。

どういうことかというと、
例えば、
目の前の空間って
目で見ることは出来ないじゃないですか。
見えませんよね。

自分自身もこの空間の一部と言えますし、
全てのものはこの空間に含まれていることは自明なんですが、
空間自体は見えませんし、分割もされてませんよね。

そんな空間の中で何かを捉えようとすると、
その対象とそれ以外に分けなきゃ捉えられないですよねぇ。
なので、イメージ上で分割して捉えているわけです。
そして、分割することで、これは何。これは何。と整理整頓することができます。
そうやって、整理された空間を世界として認識しているわけです。

整理しようがしまいが、目の前の空間に変化はありません。
ただ、そう整理していること自体は単なるイメージですよね。
だから幻想だと言われたりするわけですが、幻想ではない本質は
今までと変わらず、目の前に広がっているというわけです。

この目に見えない全ては、つかもうとした瞬間、幻想として掴まれるわけです。

このことが見抜けちゃうと思考が作るストーリーへの深刻さはなくなっていくんです。
問題が解決するわけじゃないし、望み通りに何かが動くわけではないかもしれませんが、そこに対する深刻さって必要あらへんやん!ってなりますので、
もっと自由に起こる事を楽しめるし、ガンガン色々と遊べばいいってことにもなるんですよねん。

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