Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人は実体のないイメージに苦しんでいる。

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おはようございます。
ジェットコースターは平気ですが、ホラー映画はちょっと苦手なタクさんです。

皆さんはどんなホラー生活を楽しんでおられるでしょうか?

さて、ホラーといえば、
生前、ある人にひどい目に合わされたりして、その恨みを持ったまま
死んじゃった人が、幽霊になって復讐する。

なーんて王道の話ってあるじゃないですか。

生きてる間は戦っても歯が立たないから、一方的にいじめられたりしていたんですが、
幽霊になってパワーアップ!さらに相手は手出しができない!
ってことでガンガン仕返しをする。
そして最後は相手を殺しちゃう。
みたいな話ね。

でもこれ、僕いつも思うんですけど、殺したら逆にヤバイんとちゃうん?
って思うんですよ。

というのもね。

生前は負けっぱなしだったわけでしょう?
つまり同じ土俵だと歯が立たなかったと言うわけです。

お化けになったから、優位に立ててたわけですよねぇ。

じゃあやっぱり殺したらあかんやん。
殺した途端、
「ふははははは!これで立場は同じ!」
「生きてる間はお化けのお前に手を出せなかったが、同じお化け同士、今度は負けないぜ!」

みたいなことになりますもんねぇ。

だからね、お化けに殺されそうになってる時に、
「ごめんなさいごめんなさい!」って謝るんじゃなくて、

「ふふふ、良いのかなぁー?殺しちゃて、、、殺したならあんたと条件は同じ。」
「今は負けてやるが、今度は負けないぜー」
って言ってやったらいいんですよ。

 

はい。
くだらないお話をしてしまいましたが、
オバケっつーものは、それこそ実体がないというのがウリでございますので、
まあ、イメージですよね。

でね。
僕らが未来への出来事に対して、ある種の怖さから不安を感じているっていうのも、
これまた、イメージに対して怖がっているというわけです。

僕らが感じるあらゆる苦というのは、実体のないイメージから感じているんですよねー。
オバケを怖がっているのと同じ構図だというわけです。

落ちている縄を蛇だと勘違いして怖がっている。
なんて言葉がありますが、それと同様だというわけですね。

「兄ちゃん、、、なんで、実体もないイメージを怖がってしまうん?」

と言いますとね、
僕らはイメージを現実と認識するからなんです。

僕らが認識している現実というのはイメージなんですねー。

いやいや、実際にほら、ここにコップがあるやん!
これはまぎれもない現実やん!

ってね。思われるかもしれませんが、
コップがあるんじゃなくて、なんでもないものがあるんですよね。
正確に言えば。
そこにイメージを介入させてコップだと言ってるだけでねー。

そして、コップが独立してあるんじゃなくて、
なんでもないものが、分離なく満ちているわけです。

満ちているからには、無いが入り込むすきがありませんので、
全部あるわけですが、あるは無いがないと成り立たないので、
あるでも無いでも無い。
みたいな言葉では表現不能なことになってしまうわけですがね。

とは言っても、このなんでも無いものをコップだとしていたとしても、
分離なく満ちている全てが姿を変えるわけじゃなく、
コップだとした時に、コップだというイメージを作り出し、
そのイメージを現実だとしているということなんですね。

変な話、現実は目の前にあるんですが、僕らはそれらをイメージを通してしか掴み取ることができないとも言えるわけです。

なので、掴み取った現実はイメージで、掴み取らずにいるとそれが現実。
なんていうね。妙なパラドックスがあるわけというですねー。

ただ、分離して捉える事には問題は無いんです。
もし問題があるとすれば、それはそのイメージの中にあるんです。

イメージの中にあるんだったら、別に問題があってもええわーってなると、
問題は問題にならなくなっちゃうんですけどねー。

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