Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

夢と現実

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そうそう、
何かを覚えるときのコツって知ってます?

単に番号とか名前とかそういうのをそのまんま覚えるよりは、
何か別のものを組み合わせると実は覚えやすいんですよ。

例えば、初めてあった人に名刺だけもらったとして、
その名刺を見ただけだと、どうにも思い出せなかったりするんですが、
名刺にそのときの会話とかその人の印象、
例えば、
「天然パーマ」とか「関西人」とか書いておくと、そのときのイメージも蘇り、
思い出しやすくなったり、名前も覚えやすくなったりするんですよね。

ま、天パーで関西人なのは僕のことなんですけど。。。

あとは、語呂合わせとかは良くある古典的な方法ですよねー。
別のものとセットにして組み合わせるという技です。

ちなみに、とっても効果的なのは別の五感の感覚と組み合わせると覚えやすかったりするんですよねー。
音とか、匂いとか、見た目とかね。

もし、人に覚えてもらいたい仕事をしてはる人は、
視覚に訴える特徴を一個つけるとか、同じ香水をつけるとか。
そういうことをすれば良いかもしれません。

蝶ネクタイしてる営業マンがいれば、忘れにくいですもんねぇ。
あの人いっつも蝶ネクタイや!ゆーてね。

つまり、一個のことだけじゃなくて、複合させると覚えやすいっちゅうわけです。

 

さて、
悲二元のお話では、よく
全ては幻想であり、その幻想からの目覚めについてよく語られたりするわけですが、

幻想というのは夢のようなものなんです。

つまりはイメージですね。

つまりこのメッセージは、僕らが夢だと言っているものも、現実だと思っているものも性質は同じもんやでーってゆーてるわけです。

じゃあ、なんで夢は目覚められるのにこの現実からは目覚められへんのや!って思うかもしれませんが、これは単にイメージの中で夢と現実を作ってるだけでして、イメージをイメージで上書きしとるだけやとも言えるんです。

でも、なんで現実は現実っぽいねん?
って言いますと、それは記憶に定着しやすいからやったりするんです。

単なる空想は、空想やと認識しやすいですが、その空想と別の五感からくる感覚が複合的に作用するとリアリティを増すわけです。

そして、イメージにイメージを付け加えて物語が発展していくんですよねん。

単なる車の音と、目で見える車、そして車のカッコいいフォルム。

音は単なる空気の振動で、風景は光の反射です。それらを組み合わせて、
ええなぁあの車。ワシもあんな車欲しいわ!金ないけど。。。
みたいな物語が紡ぎ出される。

さらにイメージが付け加わり、
金はないが、どうやったら金持ちになれるんだろう??ああ、ワシは不運や!!!
と物語が発展する。

ま、我ながら例えが下手ですけど、
この場合、実際にあるのは、単なる音以前の音、風景以前の光なんですよね。
あとは意味づけされたイメージなんです。

物語は記憶を反芻して作り出されます。
その記憶の中に自分の役割というのも入っていて、
その役割にそって自身を演出しようとしますし、
その役割に対して窮屈に感じたりもします。

わいはこのチームの責任者や!となると責任感と責任が上手くいかなかったときの罪悪感を抱くんです。

そうやって現実と名付けられたイメージの中に絡め取られちゃったりするんですよね。

寝てる間にみる夢は単なるイメージですので記憶にもあまり定着せず忘れ去られたりしますが、身体という強烈な感覚とイメージが複合化されると記憶にも定着しやすく、その記憶を反芻することで物語が生まれるっちゅうわけですねー。

ちなみに余談ですが、明晰夢を見るようにするには夢日記をつけるのが効果的なんだそうです。これも多分記憶に定着させることで、リアリティ感を強めるってことなんじゃないのかなぁと思うんですよね。

まあ、夢だろうが現実だろうが、イメージへの執着が強いほど窮屈さも増してきて、しんどくなってきますので、あんまりオススメはしませんけどねー。

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