Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

何にもないと全部あるって同じことなんですよねん。

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何にもないと全部あるって実は同じことなんですよー。

「ちょっと何言ってるのかわからない。」
ってなるかも知れませんが、そうなんです。

もちょっと説明して見ますね。

簡単に言うと、それって分離のなさを表現しておるわけです。

僕らが何かを掴み取るには輪郭が必要です。

つまり境界線が必要となるんですよね。

僕の指はここからここまで。
腕はここからここまでで、体はこの範囲が身体でー。

日本はここからここまで。みたいなね。

でも、そんな境界線ってイメージの中だけにあるわけでホントはないですもんねー。

宇宙飛行士が宇宙から帰ってきたときのインタビューでもゆーてはったやないですか。
「宇宙から見た地球には国境線は見えませんでした!」

ってねー。

僕もねぇ。これを聞いて思いましたよ。

あっ!ズルいぞ!このおっさん!宇宙行く前からこれ言おうって決めてたなー!
ってねー。

宇宙に行く前に、飲み屋で後輩と相談しとったんやないでしょうか?

先輩「どうする?インタビュー?」
先輩「地球は青かったは取られてもうたしなぁ。」
後輩「あれを超える一言がほしいっすねぇ」
後輩「先輩!丸いねん!地球は丸いねん!って言うのはどうでしょうか?」
先輩「アホか!そんなことゆーたらアホかと思われるわ!」
店内にイマジンの曲が流れる・・・。
後輩「良い曲ですねぇイマジンは。」
先輩「イマジンに文句言う人はそうおらんわな」
後輩「そうだ!宇宙には上も下もありません。みたいな、人の上に人を作らず的なことを言えばどうでしょう?」
先輩「長いし、ちょっとややこしいな。もっと一言で、青かったよりも強烈な一言やないとあかんねん!」
・・・
先輩「そうや!国境がないってのはどうや!イマジンでもそう歌ったはるし!誰もそのことで文句言わんし!」
後輩「良いっすね!先輩!それ練習して見ましょう!サラっとさりげなく言うと名言間違いなしっすよ!」
先輩「せやな!ええこと言おうとして緊張してしまうと台無しやしな!今から練習やっ!!!」

みたいなくだりがあったんとちゃうやろか
って思うくらい完成された一言でしたよねー。
・・・

あかん。。。
めっちゃ話がそれてしまいました。

ちょいと話を戻しまして、、、。

 

全部あるから思いのままなんでも掴み取ることが出来るわけですが、
掴んだ途端にその境界線が足りない部分をも同時に作っちゃうっていうわけなんですよね。

人って、どうしても何かを掴んでそれを固定化しようとしちゃうんです。

「ああ、このまま時間が止まればいいのにぃ〜。」
「デュフ、デュフフフフ。。。」
みたいな恋人同士みたいにね。

元々はねー完璧なんです。
で、自分という存在は、その完璧さをどこかで知ってるから、
そこに近づこうとするのかもしれませんねー。

ただ、この「自分という存在」。
それ自体が、一つの作られた枠組みであって、
それが枠組みであるがゆえに、その枠が分離という観念を作り出し、
その観念が足りないという思いも生産しちゃってる。

だから尚更、何かを掴んで足りないを埋めようとするわけですが、
全ては常に変化し続けていますので固定化することもできず、
とっておくことも出来ないので、何をどう掴んでも完璧にはなれないといったジレンマに陥ったりするわけなんですよねー。

掴まなきゃ、満ち足りた全てを実感できないという勘違いがそういったグルグルを生じさせておるわけですが、
一度、「ある」とか「ない」とかいう妙な設定を置いておいてみる。
そして、なんもない中にリラックスしてみますと、
「ある」「ない」というのは、単なるこだわりであって、
そのこだわりが物語を生み出しとるだけやったんやん!
てなことが明らかになってくるんです。

単なるイメージ上の輪郭線は実態は無いのは明らかですので、何もないと言えますし、
どんな線を空間に描いてもその空間はすでにありますので、
最初っから全部あるとも言えますし、
実際は線を描いてそれをつかみ取る誰かがいるわけじゃないので、
「ある」への執着を持つ必要性も無くなるわけです。

またややこしいですが、必要性がないから持たなくなるわけでもなく、
必要・不必要といった基準に従わなくてもよくなるわけですので、
ま、クルンと回って何も変わらないってことにもなるわけです。

これ以上書くともっとややこしくなりそうなので今日はこの辺で〜。

 

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