今、ここの「ここ」はわかるねん。
だってここやし。僕はどこに行ってもここ以外のあっちにはいけない。
だからどこへ行っても僕はここにいる。
うん。これはわかるけど、
今はどうにもわからんのや!
みたいな質問をいただきました。
ありがとうございます。
これが今か!って思ったらもうその「これ」は一瞬前の「これ」になってしまうやないかー。
ってことなんですけどねー。
まあ、あれですねぇー。
コレを言っちゃなんですけど、
今とかココなんてのも無いんですけどね。
「今ここ」しかない。となると、あっちもどっちもないってことになりますよねぇ。
そして、今しかないのなら、過去も未来もないってことにもなります。
そして、あっちもどっちもないのなら、ココも存在し得ませんし、
過去も未来もないのなら、今もありません。
つまり、んなもんあらへんから、まーそう考え込まなさんな。
ってことなんですけどねー。
でね。
僕らは何かを掴む時には、掴んでないものを定義しないことには掴めないんです。
つまり、境界が必要なんですよね。
その境界が分離となるわけです。
勝利を掴むには、敗北という概念が必要になる。そして、そこには条件も必要になってくるわけです。
どうなれば、勝ちで、そうならなかったら負け。
みたいなね。
この条件というのが、まあいわゆるルールだというわけですね。
空を指差して、
あれは雲だ!と言った途端、雲ではないモノを定義しなきゃならなくなります。
そうじゃなきゃ、どれが雲なのか?どこからどこまでが雲でそうじゃない部分はどこなのか?がわからなくなりますからね。
これがわからないことには、これが雲だ!と納得できないわけです。
僕もここでたまに、「悟り」という何かはありませんよー。
「それ」とか「これ」とかもありません。
言葉で表現できません。表現する必要すらありません。
とか、
もし、何かしらの「体験」をした!のならとっとと忘れてしまった方がいいですよん。
とか書いてますが、
「悟り」とか「これ」とか「体験」とかを掴んじゃうと、掴んだ途端に分離しちゃうからなんですねー。
分離というまな板の上に持ってきちゃうんですね。イメージ上で。
実際に分離しているわけじゃなく、そう見なしているだけなんですけどね。
「色」と「空」というのもいわゆる分離です。
だから、「空」に入るとか、その状態を保つとか、
そういうことじゃないんですよねー。
ウホッ、「空」とか「色」とかんなもんあらへんやん!
この分離が単なる想念でしかないんやーん!
まさに、色即是空、空即是色。ってことなんですね。
僕らって、過去の記憶の反芻と未来の不安に悩まされたりしがちなんですよね。
そんな場合に何かしらの概念をつかめれば、それが軽減されるのかも。。
って思ったりしちゃうんです。
なので、常に何かを掴んで持っておこうとしがちなんですが、
そうやって掴もうとすると、もうすっかり分離の概念に入り込んじゃいますからねー。
せやから、まあまずは、今ここに戻ってきましょうや。
それしかないんですから。
ってな意味でね、「今ここ」という言葉が使われているというわけですね。
ホントに今、ここに戻ってきたなら、今もココもなく、
なんでもないものが充ち満ちていることに気づけます。
その「なんでもないもの」はなにも足りないものはないんですよねん♪
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