流れに身をまかせるっていうのは、あなたから湧き上がってくる命の表現をそのまんま表現してあげるということなんですよねー。
つまり、やりたいことを妙なルールで縛らないっていうこと。
それが、流れに身をまかせるということなんです。
すでに出来上がっている(ようにみえる)妙なルールに従うこと。
場合によっては、自分を律して、我慢して従うこと。
これが流れに身をまかせることのように思われたるする場合もありますが、それだと思いっきり流れに逆らってることになっちゃいます。
運命論みたいなものがあったりしますが、それに嫌々従うのが流れに任せるってことでもありません。
じゃあ、運命に逆らうのか?というとそうでもなくて、
「運命?何それ?ウケるー!」とでも言いながら、
美味しいものでも食べてりゃ良いんです。
流れとは命のエネルギーです。
命とはエネルギーそのもののことです。
世界は一度たりとも止まりません。宇宙だって止まりません。
常に全ては動き続けています。
そして、この動きを概念上で捉えようとするときだけそこに時間という概念を使ったりするわけです。
全ては常に動いています。
そして動いているものを掴んでおくことはできません。
掴む意味さえ無いんです。
流れに逆らうというのは、この動きの中で何かをつかもうとすることなんです。
掴むのをやめて、手放しちゃえば、命の動きと溶け合うんです。
この命は動きですので、境界はありません。
境界もなく時間もないなんでも無いものが、
ノリノリでダンスしてるんです。
ノリノリのダンスには意味はありませんので、何にも依存してないんです。
なので、
何が生きがいなのか?を探す必要もなく、
どうすれば良いのか?を決めておかなきゃならないわけでもなく、
なにが安心なのか?を気にし続けなくても良いんです。
生きがいやより良さや安心に依存しなくて良いんです。
依存しなくて良いということ。それが許しです。
この許しの発見が、自由への解放なんです。
自由への解放っていうのは、自分勝手に振る舞うということじゃなくて、
自分を罰することはないよーっていう許しなんです。
そして、自分を罰することはないよーの許しっていうのは、
自分の中の他人を罰しなくても良いよーっていう許しでもあるんです。
そして、自身への罰によって失われた自身の不承認さが
承認されたいという欲求を生んでいたりもするわけですが、
もう十分に満ち足りてたという発見なんです。
あなた自身は損なわれたこともないし、足りなくなったことも無いんですよね。
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