Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

どこもかしこも、自分だらけ

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森山直太朗さんの歌で「どこもかしこも駐車場」って歌があるんですけど、
知ってます?
あのうた、良いですよね!
オモロくて、切なくて、、、。


森山直太朗 – どこもかしこも駐車場 Studio Session 2016

ま、シュールな歌の話はいいとして、

思いません?
どこもかしこも、自分だらけやないか!って。

なんや?
どうしたんや?
ちょっと意味がわかんない。

とか思われるかもしれませんが、

ほら、
お腹が痛い、、、。となると、お腹が自分ですし、
今日は気分が優れない。。。となると、気分が自分ですし、
ディレクターのタクさんです。とか言いながら名刺交換をすると、
ディレクターが自分となりますし、

デュフフ良からぬことを考えちゃった。。。と思ったら思考が自分ですし、

挙げ句の果てには、
あなたが見ている他人はあなた自身の投影です。
とか言われちゃって、、、。

オイオイ他人も自分なんかい!

駐車場どころやない!
どこもかしこも自分だらけやないか!

 

そりゃ、自分運営は大変なわけですわ。
だって、絶対にコントロールできないものばっかりですもん。
それを運営しなきゃいけないなんて、無理ゲーやないですかねぇ。

そこで、そもそも論の話なんですけどね。

自分っちゅうのはホンマに存在しとるんか!
っちゅう話なんですよ。

何回も「私はいない」なんてことを聞いた方もおられるでしょうし、聞いた時はなんとなーく。
うんうん。そうだねー。
って思っても、いつしかシラーっと私は戻ってきていて、普段通り、自分の経験として起こってくると思うんですけどね。

で、ああ、まだ自分は自分という観念から目覚められていない。。。
って、思ったりもして。

でも、どこもかしこも自分だらけってことは、自分の存在ってなんやねん!
っていう話なんですよ。

もしかしたら、すべての経験は確かにあるけど、それと自分という観念は関係ないんとちゃうんか?
もしかしたら、自分だけがいないんとちゃうんか?
っていう可能性をね。見てみると、何かが見破られるかもしれません。

経験の後に、その経験の中で自分と対象を瞬時に作り上げとるんですよねん。

経験には行為者は必要なかったんですよ。
そんな起こってくる経験の中で、自分と対象を瞬時に作り上げ、自分の経験やとしとるわけです。

そう。
わしが育てた!とでも言わんばかりに。

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