Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

悟るとどうなる?何かが変わるの?なにも変わらないの?

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

みなさん、悟りとか目覚めってどんなイメージをお持ちでしょうか?
よくあるのが、
なんか、人生が楽になって、執着がなくなり、悩みや苦悩が消え失せて、至福に満たされる。
みたいなね。
そんなイメージを持ってる方もおられるかもしれません。

確かに、そんな感じの表現がされていたりしますからねー。
そして、確かにそれは間違ってないんですが、それに一つ加えておくとパーソナリティはちゃんと残る。ってことなんです。

楽になって執着がなくなり苦悩が消えて至福になるけど、パーソナリティは残る!って感じですね。

でもこの「パーソナリティ」は残るって部分、
生まれ持っての性格は残るって感じかなー?ってフワッとわかったようなわからんような、
ちょっとモヤモヤするって方もおられるかもしれません。

というわけで、今日はその辺について書いてみたいと思います。

パーソナリティってなんぞや?

パーソナリティってなんぞや?ってことなんですが、まあ仮面みたいなものです。
架空の仮面です。
この仮面は、生まれ持っての素養と環境や経験による相互作用で作られる仮想の自分みたいなものです。

僕らはそんな仮面をいくつも持っていて、それを自然に使い分けているわけですねー。

昔、お母さんとかが電話に出た時、妙に声色が変わっているのをおかしく眺めてたことはありませんか?
「はい!もしもし〜。○○でございますぅ〜。」みたいな感じ。

あれは電話に出た途端、家にいる自分の仮面からよそゆきの仮面に付け替えたってことですよねー。

僕らも、家にいる時、友達といる時、一人の時、仕事の時と無意識に仮面を付け替えてますよね。
あれがパーソナリティです。

これは残るってことですね。
ただ、違いとしては、これは「仮面」であるということに意識的になっているといいますか、ちゃんと知っているというところですかね。

ま、みなさんも、「うわぁー、今ワタシぶりっこしちゃってるぅぅぅぅ」って自分の仮面のことに気づいてますよね。
それと一緒です。

仮面を自分と混同することで、事実を見逃す

でね。
僕らがよく誤解をするのは、このパーソナリティ。すなわち「仮面」が、至福になったり執着がなくなったりするんじゃないか?

という誤解なんです。

僕らは、この「仮面」を自分だとよく錯覚するんですよね。

そして、自分が楽になり、苦悩がなくなり、執着がなくなる。
そんな自分に変化する。
と錯覚しているということなんです。

これが違うんですよ。そういった自分は本当は自分ではなく「仮面」ですのでね。
その仮面はそのまんま残る。すなわち変わらないということです。

確かに、ちょっとお気楽な仮面みたいなものが出てきたりはしますよ。
これは、仮面を仮面と知ることが変な話一つの経験となって、その経験のもとに新たな仮面ができちゃうだけであって、仮面は常に付け変わりますのでそこはあまり重要じゃないんです。

楽になって執着がなくなり苦悩が消えて至福になるけど、パーソナリティは残る!っていうのはね。
あなたも、もうすでにそうなっているんです。っていうか、ずっとそうなんです。

ただ、自分と仮面を混同してしまっているから、その事実を見逃しているだけなんですよねー。

ここが、悟っても別に何も変わらないと言われる所以であり、元からあなたはソレなんですよといわれる所以でもあり、何も変わらないけど同時に全てがひっくり返る!ということでもあるんです。

 

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