はじめに
はいどうもー。
おはようございます。
タクさんです。
歴史考察が趣味のタクさんです。
最近は邪馬台国の卑弥呼に興味があるんですよね〜。
この卑弥呼は日巫女であり、つまるところ、太陽の巫女だったんじゃないか?
と思っております。
農作物の収穫は今もそうですが当時は最も重要な関心事でしたので、太陽や雨のバランスってとっても大事で、豊作を祈る巫女というのはとても重要な役割だったんだと思うんです。
だから邪馬台国。すなわちヤマトの国では日の巫女という役職が欠かせなかったんだろうと思うんです。
このヤマトの国は九州から本州にわたり、今の大阪あたりに上陸し、奈良県の三輪山あたりに落ち着いたんじゃないかな〜。
なので、ヤマトの国(邪馬台国)は九州と本州に2拠点あり、どちらにも日巫女は代々継承されながらいたんだろう。
なんて夢想をして楽しんでおります。
そして、魏志倭人伝で紹介されている卑弥呼は九州の日巫女である説を僕は支持しております。
ま、とはいえね〜。
こういうのって答えがないんですよね。
だって、当時に戻って確かめる術が無いんですもんね。
どれだけ、それらしい遺跡や遺物が見つかったところで、確実な答えにはなりません。
だからこそ、あれこれと夢想したりするのが楽しいことでもあるんじゃないかな?
って思うんです。
まあ、思考ちゃんはこういった曖昧さがとっても苦手なんですけどね。
でもこの曖昧さこそ真実であって、そんな曖昧さを許し受け入れることで楽にもなるんです。
・正しさを追い求めると分断される
世界中で起こる、宗教を起因とした戦争なんかを見ていると、
これこそが正しいんだ!という思考って、その他を間違いだと断定しそれを正さなければならない!という思いに発展しちゃってややこしいことになる。
って気がしますよね〜。
日本って、そういった宗教論争って少ないと思うんですよ。
これもね。僕が日本という国が好きな理由の一つでもあるんですけどね。
いろんな神様を受け入れるという神道の気質が、そういったいろんな宗教があっていいよねという考えの母体になっているし、ノーと言えない日本人という気質を生み出した元にもなってるのかも知れないな〜なんて想像したりしています。
実はこれもね。
昔の日本はいろんな集団に分かれていて、それを統一すべく動いたヤマトが、ただ侵略して滅ぼしていくということだけではなく、各集団ごとに各々存在していた神様を融合させていくことによって統一していったということに端を発するんじゃないかな?
なんて思ったりもしています。
・夢想の遊び
これが正しい、これは間違いというのはイメージの中で分断することになるわけですが、これって何でも無いものを分けるある種の遊びなんですよね。
しかもこれは夢想の遊びなんです。
つまり実体のないイメージの中であらゆることを分割してルール作りをするっていう遊びなんですよね。
より良い正しさを求めることは、この遊びのルール作りには役立ちますが、あくまでこれって夢想の遊びなんです。
ぼくらはこの遊びに夢中になりすぎることによって苦悩を感じることがあるんです。
遊びを遊びだと忘れてしまうんですよね。
そんなこの遊びを遊びだと改めて気づくときに今ココの真実を知るんです。
ですので、正しい知識を追い求めた先に答えって無いんですよね。
むしろ、間違いという幻想を量産することになるんです。
この間違いに縛られることで苦悩を感じたりするんですね〜。
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