Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あなたは気が向くなら手伝ってあげれば良い

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさんはギャンブルはお好きですか?
僕は全くやらないんですよ。

まあ、競馬やパチンコは片手で数えられるくらいはやったことありますよ。
でもそれも20年以上前のことですしねぇ。
社会勉強のつもりでやっただけで、それ以降は全然です。

麻雀も上がり方はぼんやりわかりますが、点数の数え方はわかりません。

ま、そんな麻雀なんですが強い人が言うには、
麻雀が強い人はちゃんと降りれるやつだ!降りれるやつが上手い。

なんてことを聞きかじりました。

麻雀での降りるっていうのは、あ、ダメだな〜っておもったら勝とうとするのではなく、
負けないようにするって感じですね。

これがちゃんと出来るやつが麻雀がうまいということなんだそうです。

ま、これは確かにっ!と感じますね。

諦めが早いというわけじゃなく、諦めが適切ということなんでしょうね。

株式投資なんかでも似たようなことがよく言われてます。
大事なのは損切りだ!って。

どうしてもこういうのって、
勝つ方!望みが叶う方!ばっかりに注目しちゃって
なかなか諦めるってことができにくくなったりするんですよね〜。

で、ムキになっちゃうと余計にハマりこんだ上に負けちゃう。
なんてありがちですもんね。

ーー

わからないならわからないで良い

どこか目的地に向かうときってね。
細かい行き方が分からないときはひとまず、大体こっちの方角だよね。
ということで始めますよね。

だって、それ以外はわからないんですから。
しばらく目的の方角に向かってみると、そのうちまた細かく調べる時が来るのか?
あるいは、目的地についちゃうのか?
このどちらかになるかと思います。
なのでとりあえず大体の方角で進んでみる。
これ以外はやりようがありません。

ここで、
「本当に着くだろうか?着かなきゃどうしよう・・・。あー、困った。」
とあれこれ立ち止まって考えたところで意味がありません。

とりあえずさっさと向かえよ!って話ですもんね。

自分という錯覚によってドハマりする

ギャンブルにドハマリするのってやっぱり賭けているのが自分のお金だからってところが大きいと思うんですよ。
これがおもちゃのお金だったら別にドハマリとまではいきませんもんね。

また、誰かにこのお金でギャンブルしていいよ〜って言われたとしても、
やっぱりあまりドハマリは出来ないんじゃないか?って思います。

やっぱり、「自分の!」というところが大きいんでしょうね。

思考のストーリーにハマるのも同様で、「自分の!」がついてくるとハマっちゃいます。
ストーリーが「自分」に起こっている!と感じられるからこそハマれるわけですもんね〜。

「この願い。ちゃんと叶うのかな?」
「ホントにちゃんと叶う?大丈夫そ?」

って考えても意味がないことが気になるのも、やっぱり「自分の!」願いだからです。

これが、見ず知らずの誰かの願いだったとしたら、
「へぇ〜。叶えば良いね〜。ホジホジ・・・」
って感じですもんね。

あなたは気が向くなら手伝ってあげれば良い。

でも思考は自分ではありません。
だから、思考ちゃんが願いを持ってたとしても、
「頑張ってね~!応援するよ!」
くらいの感じで良いんですよ。

そして、気が向くならお手伝いをしてあげれば良いんです。
気が向かないなら、ま、応援だけしてあげたら良いですしね。

これがね。
出来ることだけをやればいいし、後はお任せ。
ってことなんです。

お任せという言葉は、自分が思考であるという立場からくる言葉ですので、
「なかなかお任せできなーい。」ってなるかもしれませんが、
思考は自分では無いんです。

なので、思考ちゃんはあれこれとブツブツ言ってくるかもしれませんが、
「ま、手伝えることあったら言ってね〜。」
といった感じで、気が向いたら手伝ってあげたら良いんです。

 

 

 

takuteto.hatenablog.com