Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考への向き合い方

はじめに

はいよー!
学生時代、英語の先生が机にぶつかった時に「アウチッ!」って言ったのを聞いて大笑いしてしまい怒られたタクさんです。
だってその先生、ものすごーく日本語英語タイプの先生だったんですよ。
「アウチッ!」って絶対ウソやん!演技やん!って思ったら笑いを堪えられなかったんですよね。

ま、そんなわけで今日もブログの方に来ていただいてありがとうございます。
いやー、最近はあまりブログって読まれないじゃないですか。
にも関わらずこうやって読んでくれる方がいるってのはありがたいことです。

さてさて、
「心頭滅却すれば火もまた涼し」
なんて言葉があるじゃないですか。
これってやっぱり痩せ我慢だと思うんですよ。

熱いものをを触って、「あつっ!」とか、「アウチッ!」ってならないのならそれはちょっとした機能障害ですからねー。

心頭滅却とは思考を消すということですよね。
でもこれって無理ゲーだと思います。
なぜなら、思考って自分でやってるわけではなく反応として起こってるものですからね。

勝手に起こる反応を制御できるのなら、自分の体調や血の巡り、背の高さや心臓の鼓動さえもコントロールできるはずですが、そんなのできないですもんねぇ。

僕らは、身体を自分の身体だと思っていますが、自由にコントロールなんてできないわけです。
思考の反応もまた同じなんですよねー。

逆にいうと、心臓の鼓動や血の巡りについて、いつも気にするわけじゃないのと同様に、思考についても勝手にやらせておいてあげれば良いということなんです。

頭の中のおしゃべり

僕らの苦悩というのは、思考によるものが大半を占めます。
思考というのはいわゆる「頭の中のおしゃべり」です。

まるで悪夢を見ているかのように頭の中でおしゃべりを繰り返してくるんですよねー。
それで僕らは苦悩していると言うわけです。

だから僕らはこのおしゃべりから逃避したがるんですよね。
酒やドラッグに溺れるというのもこの逃避なんです。

あとはずっとテレビや動画を流しっぱなしにしてそれを延々と見ちゃうというのも逃避の一つです。
思考ちゃんって、一つのテーマのことしかストーリーを展開できないですからね。
行ったり来たりはできても同時進行はできないんです。

ですので、思考の働きを鈍くするか、もしくは適当なストーリーを流しておけば、その間は頭の中のストーリーを聞かずに済むというわけです。

ですが、酒やドラッグは、最初は頭の中のおしゃべりをかわす良い方法だったはずが、次第に取り込まれちゃうんですよね。
酒とドラッグに囚われてしまうんです。そして中毒になっちゃうわけです。

動画なんかも同様でダラダラと流し続け、それに任せっきりになっちゃうと次第にそのストーリーに取り込まれてしまったりするわけです。

怖いですねぇー!気をつけましょうねー!

思考は面白がってあげましょう

そんな思考から距離を置くというのが、いわゆる瞑想や坐禅だったりします。

そんな瞑想や坐禅というのも別に思考を消すためにやるわけではありません。
もちろん、そう言った感じになることはあるんですけどね。
でも、いずれ反応として思考は起こってきますし、注目させるようなストーリーをつぶやいてきます。

むしろ瞑想は思考を消すのではなく向き合うことなんです。
ただ、積極的に向き合うという感じではなく、思考を起こるがままにしておく。
起こったとしてもそれ以上追いかけないって感じなんです。

すると思考は停滞することなく、ふっと起こっては消えていくだけなんですよね。

そもそも思考って無害で無味無臭なんです。
だってイメージですからね。

それほど深刻に向き合わなくても良いんです。

「へぇー、面白いねー!」ってな感じで、面白がってあげれば良いんですよね。

それが思考ちゃんへの向き合い方なんです。

 

 

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