Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自然体の素晴らしさが輝くとき

はじめに

ふぁーい。
京都出身のタクさんどす。
みなさん。おはようございますどす!

さてさて、ダイヤモンドってあるじゃないですか。
永遠の輝き!とかいわれている石ころです。

まあ僕は、この石に何ら思い入れもなく、
全然良いとも思えないんですけどね。

でも、価値あるもの!みたいなものになってますよね〜。

なんであんな石ころに、そんな大金払えるねん!
って感じなんですけどね〜。

ま、好きな人は好きなんでしょう。

そもそも、価格(かかく)なんてそんなもんですよね。

価格(かかく)は価値(かち)ではありません。

僕だって、金魚だったら数万は払えますが、
ダイヤモンドに数万はありえないですからね〜。

価値っていうのは、ある種、主観的なものでもあるんです。

そもそも、ダイヤモンドって炭素ですからねぇ。
地球上の石ころの中でも、かなり平凡な石ころなんですよ。
ただ、地中深くにあるから取り出しにくいってだけなんです。

しかも、人工的に作ることも出来ますしね。
そして、輝きは人工で作られたもののほうがキレイっていうんですから。

 

価値もまた一つの概念

ま、そんなわけで、
価値というのはかなり個人的なものでもあるわけです。

ダイヤモンドだってネコからみたらただの石ころなんですからね。
価値なんて全くもって普遍的要素は無いんですよね〜。

そもそも、価値という概念自体が、幻想の類であってただのイメージなんです。

つまり、価値に条件は必要ない!というわけですね。

自分自身の価値を見出そう

ま、そんなわけなので、価値というのは、自分が勝手にそう思うものなんですけどね。
もし、まず最優先に価値を見出すべきものがあるのだとすれば、
それは、自分自身の価値だと思うんですよ。

僕らはねぇ。
変に自分の価値を貶めている事があるんですよね。

そのせいで、頑張って今以上の自分にならなきゃダメだ!
ってな思いに苛まれたりしてねー。

そんな思いにまとわりつかれると、頑張らない自分は無価値だ!
なんて幻想にだまされたりもするんです。

そもそも、価値なんて条件はないんですけどね。
誰かに認められないと価値がないなんて、そんな嘘の幻想にだまされたままになったりするんです。

自然体の素晴らしさが輝くとき

だからね。
一切、無条件で、自分には大いなる価値がある!
ってね。
そういうことにしておけば良いんですよね。
しかも、嘘じゃないし、ホントのことですからね〜。

そうすることによって、僕らは今のまんまの自然体の素晴らしさが、
ちゃーんと輝きだしてくるんです。

頑張って背伸びして、自分の無価値を隠そうとすればするほど、
なんか、価値のない自分という思いが伝播しちゃったりしますからね〜。

ただただ、自然体であれば上手くいったりするんです。

そもそも、自分の価値を誰かや何かの条件に委ねるなんて、
まるで自分からすすんで囚人になるようなものですからね〜。

だから、まずは自分自身の無条件の価値を愛でてあげれば良いんです。

条件付きの価値なんて嘘なんです。無条件の中にこそ素晴らしい輝きがあるんです。

無条件の価値を愛でてあげることで、自身の自然体の素晴らしさが輝いてくれるってなもんですよ。

 

 

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