Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

すでにあなたは解放されている。ってどゆことー??

はじめに

へーいっ!
どうもおはようございます。
タクさんです。

先日ね。
「もう本当は既にみんな解放されている」ってどういうこと??
という質問を頂きまして、お答えしたところ
わかりやすーい!って褒めてもらえましてねー。
なんか嬉しかったので、今日はこのことをテーマに書いてみたいと思います。

いやー、ホントにねぇ。
ニコニコしながら
「あなたはもうすでに、カイホウされているんですよぉぉぉ!」
とか言われたら、カチンッときますよね!

アホかい!
されてないからこうやって話を聞きにきとるねんっ!
って言いたくもなりますもんね。

解放されてるんだったら、こうやって探求なんざしとらんわいっ!
って話ですもんね。

「そうやってカチンとくるのはエゴちゃんの仕業なんですぅぅぅ!」
とか言われちゃうと、もう余計にカチンッ!と来るってなもんです。

というわけでしてね。
この「すでに解放されている」とはどういうことやねんっ!!!
ってことについて書いてみますね。

 

精妙さに気づくということ

さて、ちょっとした例え話なんですが、
すごーく小さな音がなっているとしますよね。
蚊の羽音みたいな音がなっているとしましょう。

それはすでに聞こえていますよね。

でも、その上で音楽をかけるとこの小さな音は、かき消されてしまいます。
本当は聞こえているんだけど音の大きい音楽の方に気がいっちゃうんです。

ですが、音楽を止めれば、ちゃんとその小さい音が聞こえていることに気づきますよね。

これと原理的には一緒なんです。

どれだけ分離に基づく思考のストーリーをみていたとしても、
そのストーリーが消えたなら、全てから解放された「コレ」は常にここにあるんです。

解放とは何から解放されるの?

よく、解放!解放!っていいますが、
この全てから解放されるというのは何から解放されてるの?といいますと、
思考から解放されたってことなんですよね〜。

そしてね。
解放されていない!と定義しているのは思考なんです。
思考は解放には何かしらの条件があると思いこんでいるんです。

それは、解放されたとしたら、
至福を感じるだとか、
私はいないということを知るということだとか、
なんかウキウキワクワクになるだとか、
常に、うっすらとした微笑みの表情になる。
みたいな感じですね。

これは、単なる思考の勝手な思い込みなんです。
そしてその、思い込みによってその条件を探す探求の旅をしているんですねー。

思考は別に何を思っていようがそれで良し!

ですが、思考は探求をしてようが、なにをしてようが、
一切「力」を持っていません。
単なるイメージですからね。
幻想をいだいたところで腹はふくれぬ!というのと一緒でしてね。
単に、夢を見ているのと同じようなことなんです。

一見ね。
思考によって体も精神も支配されているように感じちゃったりするんですけどね。
別に思考は何も支配していないんです。
むしろ後付けで解釈を付け加えているだけなんですよねー。

支配されているという感覚は錯覚なんです。
実際に思考は何も支配しておらず、ただ起こっているだけなんです。

例えば映画に夢中になると、映画の世界の中に入り込んだような気になりますよね。
でもそれは錯覚であるというのはわかるかと思います。
それと似た感じなんです。

つまり、思考が何を考えていようが、すでに解放されているんです。
っていうか、そもそも支配すらされていないんです。

だから、すでに解放されているよ!ということなんですね。

執着を手放す

ただこの言葉を思考で受け取っても意味がありません。
思考としては、まだつらいこともあったり、至福を感じていないから、
まだ解放されていないはずだ!という判断をしちゃいますからね。

思考はそうやって判断するのがお仕事ですからね。

ですが、思考がどう判断しようが、そんなの関係ないんです。

また、解放されていると信じようとしても意味はありません。
この話は信じるものじゃありませんからね〜。

信じようとする。
そう思えるような思考になる。
ってことじゃないんです。

思考を無理にコントロールなんてしなくていいよっ!
ってことなんです。
これが、いわゆる執着を手放すということでもあるんです。

 

 

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