Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

強迫観念を可愛がろう

はじめに

はーい。
どうもおはよーございます。
タクさんです。

さて、
今日は強迫観念について書いてみたいと思います。

強迫観念ってね。
自分を乗っ取ってしまうんですよねー。

まるで勝手に自分の操縦桿を握られて、
勝手に運転されている。
みたいな感覚です。

そして勝手に運転されていながらも、僕らはそれを自分でやっていると思い込んでいたりもするわけです。

いやー、ヤバいですね。

そういえば、実際にそういうことをする寄生虫がいると聞いたこともありますが、
この寄生虫は脳を支配してそういうことをするんですが、強迫観念は形を持たない無形のものなのに、そうやって支配してくるんですもんねー。

ヤバいっす!

 

可愛がりと褒め殺し

そんな強迫観念なんですが、
こいつの支配から逃れるにはどうしたら良いのか?
って話なんですがね。

ここはねぇ。
可愛がりと褒め殺しがキーになるんです。

可愛がりっていっても、相撲部屋のような乱暴なやつじゃないですよ。

むしろ、ちゃんと真剣に可愛がるんです。
まるで子猫を可愛がるかのようにです。

強迫観念って、いうなれば勝手に浮かんでくる不安な思いですよね。
そして、その不安を解消しようとして僕らは何かしらの行動なり思考なりが生じてくるわけです。

この不安材料というのは、いろんな理由があるかもしれないけど行き着くところは、
「自分に足りないものがある」すなわち、「自分は足りない」という思いに大体は収束するんです。

そして、この足りない自分を埋めるための行動なり思考が出てくるというわけなんです。

同調からの脱却

でもこの強迫観念ってね。
大体が何かを過大にとらえていたり、または勝手な比較を持ち出して騒いでいたりするものだったりするんですよねー。

なので、そこに同調することなんてしなくて良いんです。

映画で嫌な奴を演じている俳優を嫌う必要なんて無いじゃないですか。
だって、映画は作り物ですからねぇ。

観念もそれと同じようなものなんです。

そして、この観念はかき消そうとすることによって燃え上がるという特性を持っているんですよ。

だから強迫観念を消したいと思えば思うほど同調して乗っ取られてしまうんです。

そもそも観念は勝手に現れては消えていく風景のようなものなんです。
だから、ちゃんと風景として扱ってあげれば良いんです。

つまりは、無理に消そうとしなくて良いってことなんです。

ホントは健気な観念ちゃん

そもそも強迫観念は、危機管理機能がちょっと大げさに反応しているようなものなんです。
これって、乗っかれば乗っかるほどに大げさになったりするんですよね。

乗っかると、喜んでもっと働こうとしてくれるんですよ。
危機管理機能ちゃんはこうみえて健気ないいヤツなんですよね。

でも、消したいと思われていたり、消そうとされていてちょっとかわいそうなやつでもあるんです。

ま、危機管理機能が働くのは正常なので何も悪いことではありません。
だからね。
「健気に頑張ってくれてかわいいね!ありがとうね!偉いね!」
って一声かけてあげたら、この管理機能ちゃんは「認めてもらえた!」と喜んで満足してくれるんです。
乗っからないのに満足してくれるんです。

そもそも自分は何も操縦していない

そもそもの話になるんですけどね。
自分というものを誰かが操縦しているってことはありません。
だれも何も操縦していないんです。

身体だって、食べたら消化し、呼吸をして息を吐いて、まばたきをして、毛や爪が伸びて、
ってなことを誰かが意図的にやってるわけじゃありませんよね。

自分がやっているわけではないんです。

心臓の鼓動について、気にしないのと同じように、思考や観念も気にせずにおまかせしておけば良いんです。

思考だけに同調することで、ちょっとバランスを失っているって感じなんですよねー。
そのバランスを取り戻すコツのひとつが、
観念ちゃんに対する可愛がりと褒め殺しなんです。

 

 

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ミラクルキャットさんのYouTubeチャンネルで対談させていただいた後編動画がアップされましたので、よかったらぜひ御覧ください。


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