Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

前を向いて行かなきゃならないのん?

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なんらかの「このままじゃダメだ!」っていう思いの根底には、
「前を向いて歩まなきゃならない。」
なーんて観念があったりすることもあるかもしれません。
だって常に何かしら前進していたいものですもんねー。

なので何とかやる気を鼓舞しなきゃならなかったり、
ツライと言ってる場合じゃなかったりするのかもしれなんですよねー。

でもね。
前を向いていなきゃならないなんて事、全然ありませんからねー。
もちろん逆境があってもめげずに前に進んでいくのは素晴らしいことなんですよ。

でも、そうしないのも素晴らしいことなんです。

同価値なんですよね。

なのでねー。
そうしなきゃいけないという観念に自分を閉じ込めないことです。
観念のために自分をイジメたりないがしろにしなくても良いと思うんです。

 

そうしないと周りの人からイロイロと言われるかもしれない。
社会から言われるかもしれない。
なんて恐怖心も起こったりするもんなんですけどね。

んなもんより、まず自分が自分を精一杯可愛がって大切にしてあげましょうねー。
っちゅうことなんですよ。
もし、そう出来たなら、もう周りの声とかどうでもよくなってきますのでねー。

ホント、掛け替えのない自分に起こってる思い。
それを宝物のように扱ってあげたらいいんです。

神を敬う以前に、
聖者を敬う以前に、
自分に起こってくる思い。
特に悲しさやしんどさ。
その奥にある健気な愛の想い。
それを敬ってあげること。

話はそれからや!っていうことなんです。

それこそが、神であり、あなたの聖者であり、
あなたの賜物なんですからねー。

神も聖者も愛も宇宙も、
あなたの中以外のどこかにあるわけじゃありません。
あなたの中のそれを敬い愛でて可愛がってあげるうちに、
それはどんどん自由を取り戻していきますんでねん。

そして、自分という架空の檻からも解放されていきます。

愛でるとは、ありとあらゆる制限、判断からも自由にさせてあげることなんです。
出てくる表現を、制限なく、そのまんま表現させてあげたらええんですねん。

愛でてあげられるなら、その制限もなくなります。

これじゃダメだ!という誤解の想いがどうしても愛でてあげられなくしてますのでねー。
なので、悲しさや辛さをかんじるなら、まずは、説明や判断は置いておいて、愛でてあげることから初めてみたらいいんです。

そして言葉は置いておいて、一緒に佇んであげても良いんじゃないかな?
って思います。

ついつい追い求めちゃう理由や結果も単なる観念に過ぎませんのでね。
んなもんに重きをおく前に、
「愛でてあげることから始めてみましょっ」てなもんです。

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