Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ありがたいよねぇ。感謝しかないわぁ。

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いやーありがとう!
ありがたいわぁ。
感謝感謝ですわぁー。

・・・

どないしてん?
変な宗教にハマったんか?
とか思わないでください。

おはようございます。
タクさんです。

いやね。
ありがたいわぁー。感謝しかないわー。
ってね。
そんな風に思えてる時って、もうそこには問題ってないと思うんですよね。
問題やと思っている事が起こっとる時って、そういう感謝の思いって出てきませんのでね。
逆に感謝で充満しとる時ってそこに問題の入り込む余地がないんですよね。

つまり、全てに感謝出来るとしたら最強やと思うんです。

けど、どうです?
全てに感謝しましょう!
とか、そういう話はよく聞くけど、やっぱ腹たつこともありますし、
これを感謝しろですと???そんなん無理やで!
ってこともあると思うんです。

だって、人間だもの。。。ゆーてね。

たしかにそんな凄い人もおるのかもしれん。知らんし見たことないけど。
もし、そんなスーパーマンがおるとするのなら、m
自分はまだまだ感謝の心が持てないってことかー。
自分はまだまだだなのか〜。ってなことも思うかもしれません。

じゃ、問題やと思ってることをどうやったら許せるんだろう?
ってなことのコツについて、今日は書いてみたいと思います。

あ、最初にゆーときますけど、
僕自身がどんなことでも許せるような人なんか?と言いますと、
全然違いますよ。

 

もちろん僕も、
カチンときますし、やなことを押し付けられたら、
嫌じゃボケ!って言いたくなりますし、たまに言いますし、
右ほほをぶたれそうになったら、変な人きたーってゆーて、一目散に逃げます。

そういうところは、多分、皆さんと一緒やと思います。
怒ったことがない人はおらんと思います。
でも、怒った後ケロッと忘れてる人はおるかも知れませんね。

僕、このブログでもよく自分を可愛がってあげてくださいねー。
ってなことを書いてたりするんですけど、
もしね。
誰かと対立をしている。とか、
社会と対立している。
といった状況にあったとしてね。

そこで自分を可愛がる為に、
対立相手を悪に仕立て上げる。

私、正しいよね!間違ってないよね!と可愛がるついでに、
そんな私と対立するあの人が悪い!
あいつが悪いんだ!社会が悪いんだ!

ってなってるんだとしたら、それって、自分を可愛がった後に、
自分をいじめてることにもなっとるんとちゃうのん?
って思うんですよね。

自分の中の誰かというイメージだったり、社会というイメージに対して、
ペシッペシってムチ打ってるようなもんですからね。

あの人が、とか、社会がを抜いちゃうと、
悪い悪い!
にくいっにくいっ!
と頭の中で連呼してるようなもんですしね。
そして、それを聞くのも自分ですし、

そんなん、自分いじめですし、
自分を可愛がってることにはなりませんもんねぇ。

じゃあ、自分を可愛がるには
あの人を許せっていうの?
じゃあ、私が悪いってことになっちゃうじゃないっ!
キィーー!

ってなるかも知れません。

で、さらにそういうことを許せない自分という観念を作り上げて、
まだまだ私にはそんな器はないなー。
と、さらに「器なし自分」という観念を作って、
また自分をいじめちゃったりしてね。

本当にねぇ。それって誤解なんですよね。
許さなあかん!ってことは全然ないんです。

これは感謝についても同じです。
全てに感謝せなあかんとなると、
いつまでたっても「自分はまだまだだわー」
てな「器なし自分」という観念を作るだけです。

幸せも完璧さも、そんな器が自分に備わった時に現れるようなものでもなければ、
器ありの人だけに開かれた世界だということでもありません。
今、ここに万人に開かれているもんなんです。

起こったことを問題としている間だけ、その問題を抱えているだけなんですよね。

じゃあ、どないすればええねん。と思ったり、
さらには問題としている自分をなんとかするために分析しようとしちゃうかも知れませんが、そんな必要もありません。

んなことをするよりは、
起こってることを問題やでー!おしえてくれてる存在。常にチェックしてくれてる存在。この子にね、ありったけの感謝をしてあげたら良いんです。

問題の部分はほっておいて構いません。

このチェックをしてくれた子に、
「あんたえらいわぁ〜。」
「常にチェックしてくれて、健気やわ〜。可愛いわぁ〜。」
「ほんと、ありがたいわぁ〜。ありがとね!」
ってね。
まるで、ケガが自然治癒する身体に
「治癒してくれてありがとね!」といってあげるかのように、
感謝してあげるんです。

そうすると不思議なことに
この感謝の雰囲気が、
「ありがたいわ〜」が
充満してきてくれます。

問題をほっておいて、ありがとねで充満させてあげると、
問題は見事にほったらかしにされてくれます。
感謝と問題って両立できないんですよね。

でもって、問題って、あれこれと考え続ける必要もないんです。
どうにもどこかで、ちゃんと常に考えておかなきゃいかん!みたいな強迫観念が起こりがちなんですが、んなーことはありません。
なので、そうなんや、ええ方法があれば対処しとくわ。
みたいな感じで、

友達から嫌われる「行けたら行くわ!」ってな感じのことを言っとくだけでいいんです。

問題において、相手を責めるのも、何かを責めるのも、
そして、自分を責めるのも、
現れ方は違って見えるけど同じことで、結局は自分を卑下してるんですよね。

問題によって自分を卑下する必要は全然ないんです。

問題をちょいと置いておくと、その卑下の必要のなさが思い出されるんです。

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