Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

静寂を破るもの

はじめに

はーい。
どうもおはようございまっせー!
タクさんです。

以前ね。
イギリスとフランスを旅行したことがあるんですけどね。

まー、旅行自体は楽しかったんですが、
なんかねー。
不思議とフランスに行った時に、静かな感じがしたんですよ。

ま、音は沢山聞こえるんですよ。パリだったので。
でもね。イギリスのロンドンに比べれば、何故か静かな感じがしたんですよね〜。

で、それはなぜだろう?
って思ったんですが、

これねぇ。
思うに、言葉の影響なんじゃないか?
って思ったんですよね〜。

ま、僕は英語もフランス語も話せないんですが、
英語って多少は意味がわかるじゃないですか。

だから、街中の文字を見ても大体意味はわかるし、
行き交う人の言葉も多少は分かるんですよ。
だから、どうしても耳に入ってくるんです。

でもね。
これがフランス語となると、もうさっぱりなんです。

この言葉がさっぱりわからない!って感じが、
なんとも楽だったんですよね〜。

行き交う人の言葉もさっぱりわからないので、
なんか気にならないんですよね。

ちなみに、同行者は、フランス語が喋れたので、
あの人、めちゃくちゃ下品なこと言ってる。。。
とか、色々と気になったみたいなんですがね〜。

こちらは全くわからないので、気にならないんです。

きっとこれがねぇ。静かに感じた理由なんだと思うんですよね〜。

ーー

喧騒は言葉でできている

僕らの頭の中の喧騒も、
言葉でできているんですよね。
そして、このストーリーがやや早送りで何度もリピートされてますと、
うるさく感じたりするんです。

これねぇ。
自然の中にいると静かに感じるのとも似てると思うんです。

自然の中にいると、人工的なものってあまり目に入らないじゃないですか。
もちろん、公園も林も森も山も人の手が入ってるのは承知なんですけどね。

でも、いわゆる人工物は、街に比べると少ないですよね。

街だと、看板の文字をみたら自然とその文字を読んでしまいますし、
建物などの人工物をみても、その奥にある意図、すなわち思考的なものも入ってきてしまうんです。

どういうことかと言うと、
ドアを見ると、勝手にこれはドアで人が出入りするところだと無意識に認識してしまいますし、
塀をみたら、これは区切りである。
と認識してしまいます。

あらゆる人工物には、形にしろ機能にしろその奥には意図がありますからねぇ。
その意図をついつい思考は読み込んじゃうんですよね〜。

それも、いわゆる喧騒の一部になってるのかもしれません。
だから、そういった意図や思考が読み取りにくい自然の中のほうが、
少し静かに感じるんじゃないかな〜って思うんです。

自然の中だと、川の水がバシャバシャと流れていても、鳥がピーチク鳴いていても、
なんか、静かですもんね〜。

静寂を破るもの

つまりね。
頭の中の喧騒は言葉でできている。
ということなんです。

そして言葉にはすべて、分離の意味や意図が含まれております。

あらゆる分離は言葉でできていると言っても過言ではない!
と言えるのかもしれませんね。

そして、この分離が喧騒を作っていたりするわけです。

言葉は事実でも真実でもないんです。

だからね。
一切の言葉を一旦締め出してみたら良いかもしれません。
すると、あらゆる分離も消え去ります。
そして、今、ココにある静寂さを感じ取れるかもしれません。

 

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