おっはようございます。
タクさんです。
あなたがすでに「それ」なんですよねん。
ま、あなたも私もおらんのですけどねー。
と、いうわけで、
今日は、
あなたがすでにそれ。
そして、あなたはおらん!
っちゅう話を書いてみたいと思います。
よくねー。
あ、これ、誤解があるなー。
なんて思うことの1つとしてね。
「私が消えるんですか?」
「私はまだ、私が残ってます。消えてません。」
みたいなことを言われたりするんですけどね。
うーん。
残ってようが、消えてようが、私はおりませんよ。
って思うんですよねん。
そうするとね。
なんか、
「私はまだ、私が消えてないからまだ「それ」じゃ無いんだ。」
「いつ私から「私が消える」事が起こるんだろう。。。」
なんてねー。
思ったりするかも知れないんですけど、
なんていうか、それやといつまでたっても、
私という観念を掴み続けとりますから、多分ずっと待つことになるかも知れまへんで。
なーんて思ったりするわけです。
「私」から「私が消える」のを待つってねー。
なんていうか、大前提に「私」がおりますからねー。
今、もう「私」を掴んではりますやん!
ってことなんです。
じゃあ、その掴んでるものよーく見てみ!
ほら、なんもあらへんで!!!
ってことなんですよねー。
あなたがすでに「それ」であって、
それが明らかになれば、もうそこに、「私」も「あなた」もおらんかったことも
明らかになるんです。
大事なのは、
あなたがすでに「それ」やということなんです。
よく、先生や聖者なんかで、
一切のモノに執着してないような人とか、
いつも笑顔で軽〜くて、ニコニコしてるような人とか、
キラキラリーン♪ってな感じで、ふわふわーってなってる感じの人とか、
微笑みを浮かべて静か〜な人とかね。
なんか、「それ」に至ることで?目覚めることで??
そんな感じの人に変わっちゃった。
何かしら、世間離れしてるようなねー。
「それ」が分かってはるひとってそんな感じの人が多いなー。
みたいな印象があったりするかも知れません。
見た目的には、
ストーリー上の「個人」としての表れにそういった変化があるように見えるかも知れませんけど、
これってねー。
あんまり気にする必要は無いと思うんですよ。
ラマナさんが一切のモノを持たないのは、単にそういう人なんや。
それがあの人の趣味なんや!
くらいに思ってたら良いとおもうんです。
キラキラリーン♪ふわふわー。って感じの人がいたら、
ちょっと変わってはる人なんや。
くらいに思ってたら良いんですよね。
確かに「私のなさ」が明らかになることによる副作用なかんじでねー、
そういう感じになるパターンっはあると思うんですけどね。
それもまた、ある種の個性ですので。
ま、そういう人なんやなー。
知らんけど。。。。
くらいな感じでスルーしてたら良いと思うんですよねん。
そうやって、誰かに特別感を感じてれば感じてるほど、
「私」と「誰か」という分離をしっかりと握りしめとる。
っちゅうことになりますのでねー。
「私、キティーちゃんが大好きなのー。ウフフ、リンゴ三個分♪」
ってゆーてはる人がいたら、
変わっとるなー。くらいに思うかも知れませんけど。
まあ、それはそれで良いやないですか。
それと同じ感じで、
聖者さんや先生を特別視せずに、そういう個性なんやな。
くらいに思ってたら良いと思います。
「私が消えたんです」っていう話もね。
単なる表現ですのでね。
誰かから「私」が消えて無くなる。
っていうことはないんです。
そうやなくて、最初っから「私」って無いんです。
無いもんは消えたりしません。
単に最初っから無かったことに気づいただけなんです。
それを自分目線で表現すると、私から私が消えた。
心身脱落が起こった!
とかいった表現になるわけです。
ホンマのところは
最初っからあらへんがな!っちゅう話なんです。
で、あなたもすでに「それ」なんです。
今、座っていたとすると、その感触がありますよね?
それ、めっちゃ生き生きしてません?
その感触は、まさに、生きてますよね。
誰が?とかは置いておいて。
音が聞こえる。
これって、めっちゃ「イノチ」じゃありません?
何かの香りがする。
くはーっ!まさに香りだって生命の表現ですよね!
僕らが、見て、聞いて、感じているモノ。
そのありのままの生の感覚。
この全ての感覚には生命感がありますよね。
そして、それ以外にはなんも無いですよねー。
あるのはこの生命感だけですね。
どこに行っても。
どっかに隠れても。
観念には生命感はありません。
だって、観念には実体が無いですからね。
実際には無いもんです。
実際に無いものをあると見なすこと。
それが幻想やというわけなんです。
ただ、あらゆる思考が起こるということ。
思考の中身じゃなくてね。思考が起こるっていうことは、
これまた、イノチの表現そのものなわけです。
どこまで行ってもあるのはこの「イノチ」だけなんです。
それが、まさに全てです。
そして、その「全て」はどんな意味にも縛られることはありません。
だから、意味はないですし、意味なんて必要あらへんのです。
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