Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

この話は虚無主義とは全く違うんです

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

今観に行きたい映画ランキングの1位は「RRR」です。
RRRってなんか、レッドリボン軍をイメージしちゃいます。

ま、そんなわけでしてねー。

今日はちょっと虚無について書いてみたいと思います。

あらゆるものが幻想なんだとしたら、
それって、単なる虚無主義なんじゃないの?

って聞かれることがあるんですよね。

また、実際に、いわゆる目覚めの体験をした時に、
虚無感に襲われることもあったりするんですよ。

ま、「目覚め」と「体験」は別物ですのでね。

目覚めを体験にした時点で、もうその目覚めは思考の概念になっちゃってるわけなので、
そういうことになるわけなんです。

確かに言葉尻をとらえちゃうと、虚無主義と同じ言葉になっちゃうんですけどね〜。
でも、この話っていうのは、虚無主義とはぜんぜん違うんです。
似ても似つかない、むしろ逆!って感じなんです。

 

思いグセが残ってると虚無と錯覚するかもしれません

たしかにね。
よく僕が言っているような、ドッキリだとわかっちゃうと、
どうせドッキリでしょー。ってなっちゃって面白くなくなるんじゃない?

って思うのはわかります。

映画でもゲームでののめり込むからこそ面白いわけで、
映画見てる間中、ずーっと
「でもこれって、映画だもんな〜。作り話だもんな〜。」
なんて思いながら観てたら面白くないですもんね。

でもね。

これって、まだ思考グセが抜けてないからそう思ったりするんですよね。

っていうか、思うのは勝手なんだけど、その思いにペッタリとくっついちゃっている。
このくっつきグセが抜けてないってことなんです。

ただ、厄介なことに、
「私は体験した!」という思い込みがあったりするので、
この「私は体験した!」を手放したくないという思いも邪魔して、
中々、私はまだ思いに執着していると思いたくなかったりすることもあったりします。

全ては幻想だ!という夢

執着とは、思いにぺったりとくっついちゃうクセみたいなものです。
もし、虚無感的なものを感じるのだとすれば、それは、何かしらの観念を通して世界を見ている。
つまり、まだ夢を見ているということなんです。

どんな夢なのか?といいますと、

「全ては幻想だ!」という夢なんです。

ちょっとややこしいですよね。

「全ては幻想なんでしょ?だったらそれは夢じゃないじゃん?」
って思うかもしれませんが、

この「全ては幻想だ!」を思考のまな板の上に持ち込んじゃってる。
ということなんですね〜。

その観念のメガネを通しているから、虚無感に襲われているというわけです。

この話は虚無主義とは全く違うんです

そもそも、この話は虚無主義とは全く違います。
むしろ、全くの逆だ!と言えるかもしれません。

ま、逆でもなんでも無いんですけどね。

思考って、あらゆるものに輪郭線を引いて分類するじゃないですか。
そして、この輪郭が引かれるということは、あらゆるものをすごく小さな枠に閉じ込めてしまうということでもあるんですよね。

そのせいで、あらゆるものを見過ごしているということでもあるんです。

輪郭線なしに、世界に触れることで、この見過ごされたものが復活しますのでね。

イキイキした世界が復活するんです。

ま、復活も何も、ただ見過ごしていただけで、ずっとココにあるんですけどね。

だから、虚無とはぜんぜん違うんです。
むしろ、ぜーんぶ有るやーん!ってことですからねー。

漢字で表現すると、「真有」ってことになるんでしょうかね?

だから、虚無を恐れる必要はないんです。

 

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