
はじめに
どもー!
ジブリ作品の中では『耳をすませば』がお気に入りのタクさんです。
いやー。あれいいですよね!青春です。
やっぱり年をとっても、この先に続く希望を胸に抱いていたいものですよね。
元気なじいさんばあさんの秘訣はここにあるんじゃないか?と感じたりします。
とちょっと話がそれそうなのですが、
今日は「耳を澄ます」をテーマにお話ししてみたいと思います。
耳を澄ますとは?
「耳を澄ます」と聞くと、
なんだかまるで今まで自分が知らなかった何かを見つけにいく。
そんな感じを抱くかもしれませんが、
実際は、元々そこにあったものに耳を傾けるということですよね。
ですので、
何か新しい宝物を探しに行くわけでもなく、
これまでの自分にはなかった何かを掴みに行くわけでもないわけです。
いわゆる非二元のお話にしたって、
ただ、もうすでにそこにあるものに耳を澄ますだけのお話なんです。
その“音”っていうのは、普段は見逃されている自分の中の微かなものなんですよねー。でも確かに、いつだってそこにあるものなんです。
面白いのは、そうやって耳を澄ましてみると、
「自分」という存在すら、実は一つの雑音だったり、
さらには、何かを「知った!」って思うその感覚すらもまた雑音だったりするわけでして、
その辺がなんだか逆説的で面白いところでもあります。
思考という雑音
僕らの日常って、ちょっと例えてみると
電車がガンガン通っている橋の下にいるみたいなものなんです。
そりゃもう、大きなゴォーッて音でかき消されちゃって、
小さな音なんて聞こえません。
そして僕らはその環境に慣れきってしまっているんですよね。
だからこういう話ではよく「静寂にあろう」ってお勧めされてるんです。
それは、この大きな音にかき消されている小さな音に耳を澄ましてみようよという提案なんです。
その電車の音に相当する思考の雑音の中でも一番大きなものは、
「このままじゃダメだ!」っていう抵抗感のある思考です。
この思いがグワーッて響いていると、
自分の中の微かな音なんてかき消されちゃうんですよねー。
雑音を避けようとするワナ
ですので、「静寂にあろう」と言われているわけですが、
やっぱりそう聞くと、
「そうか!じゃあ雑音を避け続けないと!」って思っちゃうものです。
でも、ここがまた僕らの陥りがちなワナになってまして、
静寂に居続けること自体が目的になっちゃうんですよねー。
でも、静寂に居続けることが目的ではないんです。
そもそも、電車の音と違って、思考には実際のところ音なんてないんですよね。
ですので、どれだけ思考が騒いでいようが、実際には静寂なんです。
静寂にあろうとする以前に僕らはすでに静寂にあるんです。
だから、雑音をずーっと避け続ける必要なんてないんです。
一旦、今だけ離れてみて、
「あれ?思考の雑音って実は静寂じゃん!」
って確かめてみるだけでいいんです。
「自分」という概念だって思考の一つであり、同時に静寂でもある。
これだって、わざわざ探さなくても勝手に明らかになっていきますのでね。
それを解き明かそうとすらしなくてもいいんです。
というわけで、今日も良い耳澄ましライフを〜!
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