Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

こんなことが大変なんですー!

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こんなことが大変なんですー!
ってな相談を非二元の先生にしてる場面を見たことがあるんですが、
先生は
「それはそれが起こってるだけなんです。ピシャリッ!」

「ツラがる個人は存在しませんっ!ピシャリッ!」

ってねー。
ゆーてはったんですよ。

妙に歯切れよく。

まあ、時間もないんでしょうし、
その通りなんでしょうし、
カッコエエわけですがね。

もしかしたら、
そういう言葉を聞いた方は
それじゃあ、なんかツラがってるのが間違ってるように思っちゃうじゃないのかなー?

って思ったりするんです。

何かが間違っているのではなかろうか?

みたいなね。

で、それがわからんからいつまでたっても、先生の話を聞きにいく。
間違いが自分からいつまでたっても消えないので、また先生の話を聞きにいく。
そんなループにハマったりする人もおられるかもしれません。

そういう場合は、
何にも間違ってないんだ!
っていう事をまず知っておいたほうがいいかもしれません。

探求も間違ってないですし、
自分がいる!って感覚も間違ってないんです。

その感覚がある事をガッツリ認めた上で、その観念を自分自身で見てみるんです。

ツラがっててもええんです。
そりゃ、自分としてはイヤやろうけど、そういうのは起こってくるもんなんですよねん。

ツライ原因を探って解消するのも良いですし、
そういうのは、淡々と対処すれば良いんです。

でもって、ツライことが起こる自分も許してあげるんです。
まだ、完璧な自分じゃない!なんて思わんと、
それが当たり前の自分なんやでーって認めてあげるんです。

ツライ事を許さなきゃならないわけじゃないですよ。
置かれた場所で咲かなきゃならないわけじゃないし、
イヤな場所からはサッサと逃げても良いんです。

逃げたくない!ならそれも良しです。

ありのままである事が、受け入れられない何かがあるから、
「それ」に対する抵抗が起こるわけなんですけどね。

その抵抗がある事を、まずは許してあげないことには、
抵抗があるっていう「あるがまま」も認められなくなる。
みたいなね。

余計な抵抗も抱え込んじゃう。

といった本末転倒なこともあったりするんですよね。

一瞥体験とかをして、「それ」を知っちゃったりした後にもよくあるんですけど、
知ってしまったが故に、知ってる私に抵抗が起こってるなんて
どういう事?

抵抗が起こってることは何かがダメなんだ!っていう具合にね、

リストを増やしちゃう。

イヤな事がある事自体もダメだ!

さらには、思考があるだけでもダメだ!

みたいなね。

でも、そういう事があっても良いよねー。
人間だもの。
たくお

ってな感じにしてあげると、
やな事だろうが、単なる思考だろうが、
そういうのが、フッと消えていってくれるんです。
消えるっていうか、長居しなくなるんですね。

どんな思考も感情も、
本来は起こっては消えていくんですけど、
ここに何かしらのこだわりがあると、
何度もその思考を呼び出しては反芻し、
さらなる感情や思考を付け足して、物語を発展させて、
余計に絡まりあっちゃったりするんですよねん。

で、
じゃあ、もうずっと居ても良いよ!
って許してあげると、居なくなるんですよね。

自我ちゃんは天邪鬼なんです。

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