Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

生滅なんてないよというお話

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【はじめに】

ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

数学で言うところの「0(ゼロ)」の概念を作ったのはとあるインド人らしいですね。

ただ、この「0(ゼロ)」が少々厄介でして、
数字をゼロで割ってはいけない。
なーんていうルールもあるそうです。

なぜなら、それをやっちゃうとあらゆる数学の概念が崩れちゃうから。
なんだそうです。

おもしろそう!
どういうこと?
と思って、ちょっと調べてみようとしたんですが、
頭が破裂しそうになって頓挫しちゃいました。

また、
暇な時間があればチャレンジしてみます。

ちなみに、この「ゼロ」の概念は仏教の「空」と同じような概念でして、
それは無いものが在る。という仏教の考え方が元になっておるんだそうです。

この無いものが在る。
これは、まさにこの世の真理ではあるんですが、
この真理を概念化しちゃうと、色んな所に不具合が起きてしまうのは、
僕らの概念化した世界の中では、真理と相容れないところがあるからなのかもしれませんね〜。

非二元や悟りの話も、実は単純極まりシンプルこの上ないお話なんですが、
これを概念上のまな板の上に持ってくると、途端に分かりづらいややこしい話に変わっちゃうのも、概念じゃないものを概念化しようとすることによる無理があるのかもしれません。

 

【ゼロから生み出したと思っているものは解釈である】

ゼロから生み出されるものってね。実はこの世にはないんですよね。

ゼロから生まれたと思っているものはすべて解釈なんです。

それは、僕らも例外ではなく、だれも生まれておりません。
そして、消滅することもありません。

ただ、因果の世界の中ではあらゆるものは生まれて滅していくように見えているだけなんです。

ちなみに、因果の世界とはなにか?というと、目の前の世界を心のフィルターを通して観る世界。といったようなことでございます。

【僕らはゼロから生まれていない】

え??
私はある日、オギャーって生まれてこの世に生を受けたんですけど??
それって、ゼロから生まれてるじゃん?
何言ってるの??
って思われるかもしれませんけどね〜。
別になにもない空間からポンッ!って出てきたわけじゃないんですよね。

オギャーって生まれたのは、お母さんのお腹から出てきただけであって、
それは厳密には生まれたのではなく、お母さんのお腹から外に引っ越ししただけです。

そして、今も含めて常に姿を変えているんです。

僕らは生まれたとか、消滅した!と言っているのは、
ただ、決められた一定の枠の中から変化によって外れたことを消滅した!
と呼んでいるだけなんです。

【変化は捉えることができない】

なぜ僕らは、一定の枠の状態にこだわってしまうのか?というと、
そもそも変化を捉えることができないからなんです。

僕らは捉えられたものだけが世界のすべてだと思っているので、
いろいろと枠という概念を作っては、それを枠として捉えているわけですが、
捉えた枠については、枠ではなく実体であると錯覚しているんです。

そして、その実体が失われたときに、消滅したと錯覚しているわけですが、
ややこしいことに、この「自分自身」も枠として捉えているので、
この自分が消滅することを恐れているんです。

そして、なんとかこの枠の中に収まるように、変化しないような状態を保とうと願うわけですが、全ては固定化されていないもんですから、そこに不安や苦しみを感じるわけなんです。