Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

掴んでいるものを手放すということ

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もし、鉛筆を持っていてね。
その鉛筆を手放しなさい。
なんて言われたとしたらね。

それはもう簡単ですよねぇ。
パッと手を離したら、鉛筆が落ちる。

誰でも出来ますよね。

でも、観念やらを手放しましょうって言われても、
それってなかなか出来なかったりしますよねー。

僕もよくメッセージで質問なんかをいただくんですけどね。
まだ、こういった思考が残っていて手放せないでいます。
とか、
こういう観念を手放せないでいます。

みたいなメッセージをよくいただきます。

鉛筆やったら簡単なのになぜ観念や思考は難しいんでしょうねぇ。

実は、これらが難しいのにはワケがあったんですよねん。

と、言うわけで、今日はそのワケについて書いていきたいと思います。

 

なぜ難しいのか?と言いますと、それは難しいことをやろうとしているから。
と言うことになりますよねぇ。

当たり前じゃ!
って言われそうですけど。

じゃあ、何が難しいことなのかと言いますと、
それは、思考やら観念。
こういったことに一切煩わされないようにしようとしちゃうからなんですね。
さらにそのためには、思考や観念。
特に、イヤな思いや観念が一切出てこないようにしようとするんですよね。
そうすると、一時的には上手いこといったりするわけですが、その状態を保つことは難しいんです。

例えば深〜い瞑想なんかに入りますと、そんな状態になることはあるんですね。
で、何かしらのコツを手に入れたように感じるわけですが、
日常に戻ると、ちゃーんと日常モードに戻ってしまう。

みたいなね。

なので、「なかなか手放せないわぁ〜♪」って思っちゃったりするわけです。

「悟った人は、こういうのを手放してはるんでしょう?」
「私はまだまだだわぁ〜。」
とか思っちゃたりしてね。

常にその状態を保ってる人がいるんじゃなかろうか?
みたいに思ったりするんですよね。

まあね。
それがもう誤解なんですよね。

この誤解があるから難しいわけです。

よくね。
非二元の表現なんかでは
「手放しなさい。」
ってね。
言われてたりしますよね。

でも、同時に
「ソレはあなたから一切離れたことはない。」
とか
「あなたがもうすでにソレなんです。」

とも言われてるじゃないですか。

だったら手放す、手放さない以前にもう完成されてる。
ってことになりますよね。

じゃあ、手放しなさいってどういうことなんや!って思ったりしますよねぇ。

これ、
どういうことかと言いますとね。

手放すっていうのは厳密にいうと、
実は実際に何かを握っているわけじゃない。
ということに、単に気づく。
っていうことなんですよね。

つまりね。
鉛筆を掴んでたのなら、パッと手を離せば鉛筆は手から離れていきますが、
思考や観念って別に実際に掴んでるわけじゃないんですね。
つまり手放せるはずも無いわけです。

思考や観念は単に起こってるだけなんですね。
そしてそれを掴み取っている誰か?っていてないんです。
なので、手放す必要すらないんです。

そのことへの単なる気づきなんです。
それを「手放す」って表現されてるだけだったんですねー。

なので、
なかなか手放せないー。って思ってたとしても、
いやいや、最初っから何も持ってないやん。
ってことですのでね。
持ってないものを手放そうとするのが既に無理ゲーだったんですよねー。

単に起こっていること。
それに「自分」という行為者を後付けして掴み取っているようにイメージしてただけだったんです。

思考とか観念が一切起こらなくなるということはありませんのでねー。
それが手放すということだと思っていたのだとしたら、
そりゃ、ずっと出来ないわぁー。
ってことになっちゃうんですねー。

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