イノチ、実在
ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
まーなんていいますかねー。
僕らは生きてますよねー。
あなたは生きてますか?
って聞かれると、そりゃー生きてますよ!
ってなると思います。
みんな生きています。死んだものはこの世にはありません。
そして、この生は分割されてすらいません。
そして、その生きているっていうのは、
あなたがそうしているわけじゃないんですよねー。
でも、私が生きている。って思ったりしているわけです。
この辺が面白いですよね。
思いはいつもカワイイもんです。
思いはどうあれ、この生きているという実感。
まさに実在といえるもの。
これだけは、否定できないかと思います。
それは、全てとも言えるかもしれませんし、在ると言えるかもしれません。
言い換えると、気づきとも言えるかもしれませんしねー。
でも、どんな言葉「これ」には当てはまりません。
言葉で当てはめられたもの。
これは、まだ、否定の余地がどこかに残ります。
なぜなら、言葉は何かを限定するものですからね。
ですが、「これ」は限定されません。
そもそも、限定という概念は、思考の中にしかない幻想のようなものなんです。
私は全て。私は在るを超えたもの。
限定がないということが見抜かれていくと、
うおっ!私はまさに全てなんだ!という感覚が湧き出てくるかもしれません。
ですが、もっともっと繊細に見ていくと、
全てというのは、「これ」に当てはまらないんですね。
そもそも、全ても個別もありませんからね。
ですが、在るという感覚は否定できないので、
「私は在る」になるんです。
ですが、これもねー。
よくよく感じてみると、私が在るんじゃないんですよね。
ただ、在るんですねー。
まさにこの実在。
これしかないんです。
実在
どうしても分離の感覚をとおして見ていると、この実在感が鈍らされるんですけどねー。
でも、確かに在るもの。
これは実在だけなんですよね。
まったき実在!
以上!ザッツオール!
なんです。
この実在はまさに存在そのものです。
どんな言葉も当てはまらない「これ」
よく僕もねー。この実在に私が溶け込んでいく。
みたいなねー。そんな表現をしたりもしますが、実際に私が溶け込むわけじゃありません。
夢から目覚める時、その夢が薄れていくかのように、
私というものも、実際に存在するものじゃありませんのでねー。
薄れていう感覚は言い換えれば溶け込むようにも感じるよね。
って感じです。
ただ、私だとしていたものもまさに実在そのものなんです。
実在が存在を取り戻すほどに、生き生きとした実在が芽吹き始めるわけです。
この芽吹くというのも、実在を一部からみた見方なんですけどね。
ホント〜は一部もへったくれもないんです。
だから、説明不可能なんですけどね。
ほんとーーーに当たり前で、いつでもあなたの中にその実在は脈打っているんです。
そしてそれが全てなんですよね。
ハハハ。
「これ」とか「それ」をなるべく正直に表現しようとすればするほどに、
訳のわからない文章になっちゃいますね。
でも、このわけのわからなさを、わからないままに感じてもらえれば良いかなーって思います。
圧倒的な地平線。
宇宙の広大さ。
ものすごい大自然。
これらに感じる圧倒的な実在感。
これらをはるかに凌駕する否定しようのない実在がもうすでにここに在るんです。
これこそがイノチなんです。
イノチに個別性もへったくれもないんですよねん♪
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