Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

誰かが気づくのではなく、気づきがここにある

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はじめに

はいよー!
いらっしゃいませぃ!

おはようございます。
再生回数が少ないYouTuberを探すのが好きな
タクさんです。

どうもよろしくお願いします。

まーでも、再生回数が少なく、あまり注目されていない人でも、
ものすごくしっかりと作り込みをされてはるんですよね。

僕も、仕事で動画関係のものを作ることがあるのでわかるのですが、
あれはものすごく大変な労力ですからねー。
みんな偉いと思います。

えらいでっ!えらい!

さてさて、
今日は、あなたは足りている!ということについて書いてみたいと思います。
あなたがあなた自身のことをなんて思ってようが、
あなたは足りているんです!

足りてるで!えらい!

足りているということは、完璧だということです。
完璧なのに、完璧さを求めても、その求めを満たすものはどこにも見つかりません。

足りているのに、何かを足そうとしても、もう足せないので、
やっぱりその探究は、終わることがないんですね。

じゃあ、探究の終わりというのは、
足りないという思いを捨て去り、足りていると思えば良いんでしょうか?
というとそうでもないんです。

足りないという思いが、今あるのなら、それで良いんですよね。
むしろ、それが素晴らしいってことでもあるんです。
意味は置いておいてね。

 

イノチの謳歌

おっとっと。
このまま続くと、意味不明な文章になってしまいますので、少し落ち着きますね。
目の前には、いろんなことが起こりますよね。

太陽は照りつけますし、風はふくし、雨も降る。
いろんな反応が体に起こり、いろんな思いも去来してくると思います。

これこそがねー。イノチの謳歌なんです。

世界が色あせる時

僕らがこれらのイノチの謳歌に対し、意味をつける時、
その意味づけのなかにある良い悪いにこだわったりすることがありますが、
これもまた、イノチの謳歌なんです。
意味のない世界に意味をつけて味わっているわけですからねー。
でも、意味は時に、イノチの謳歌を色あせさせます。

なぜなら、全ては常に新しく、常にいろどり豊かなものですが、
新しいものを既知に置き換えてしまうことで、とても小さな枠に押し込めてしまうからです。

誰かが気づくのではなく、気づきがここにある

ですが、ちょっと笑っちゃうことに、この枠というのは、実在しないんですよね。
だから、変な話、どんな小さな枠に閉じこもっていようとも、
どんな思い込みが自分を縛っていようとも、
強いこだわりに自分が支配されていようとも、
実はそんなことは一切起こってないんですよね。
ありとあらゆる意味づけが起こっているように見えて、全てに一切意味は存在してないんです。
だったら、どうすればそれに気付けるのよ!という思いも起こるかもしれません。

それもまた、単に起こっているだけなんですよね。
あなたが、今あなた自身だとしているもの。そのあなたはこのことに気づくこともありませんし、「それ」に到達することもありません。
え!それで良いのん?ということを知った時、全てはもうすでにここにあり、どこにも行っていなかったことに気づくんです。

誰かが気づくのではなく、気づきが全てとしてここに在るって感じなんです。

 

takuteto.hatenablog.com

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