Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

個別のものは存在しない

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はじめに

ほい!
どうもおはようございます。
タクさんです。

広告のデザインをしたり、セッションやカウンセリングをしたり、
こうやって、毎日ブログを書いていたりしております。

どうぞよろしくお願いします。

さてさて、というわけで普段は広告のデザインなんかをしておりますのでね。
それなりに、色の原理については詳しいつもりではございます。

もしかしたら、皆さんは、色というのは例えばコップとか帽子とか、
なんでもいいけど、そういうモノに色がついている。
ってねー思うかもしれませんが、
白いコップは、実はコップが白いんじゃないんですよね。

白いコップが白くなるためには、そのコップに光があたり、
その光が反射して初めて白くなるわけです。
(そう見えるだけなんですけどね)
もちろん、光の種類によって色は変わります。
だから、白いコップはコップが白いわけじゃなくて、光とのコラボレーションがあって初めて白くなるわけですねー。

つまり、色というものは、モノについているわけではありません。

色というものは全て光なんですね。

白いコップも昼間の太陽の下では白く見えるかもしれませんが、
沈みかけの太陽の下では、赤くなりますし、朝の太陽の下では、黄色くなったりするんです。
白いコップの色は、光の種類によって色は変わりますし、そもそも光がないとと真っ黒なんですよねー。
つまりモノの色は光の加減によって色が変わるわけなんですねー。

ちなみに、光というのは波のようなモノでして、僕ら人間が見ることができる光の波長はほんの一部でしかありません。
赤外線なんかは、僕らは見ることができませんからねー。

つまり僕らが見ている景色は決して真実ではなくそう見えているだけなんですよね。

 

全てはあなたという光の反射である

ま、なぜいきなり色の話なのか?といいますとね。
なんていうか、僕らが感じている世界観もまたこの色の感覚と似てまして、
個別に色があるわけではなく、光との関係性の中、今だけ白く見えているだけ。
というのと同様に、世界もまた相対的な関係性の中でそう見えているだけであって、
個別に何かが存在しているということでは無いんですよねー。

僕らが起こっていることを色々とみたり体験したりしますよね。

これもね。
物を見ているようで実は反射する光を見ているだけというのと似ておりましてね。
あらゆる起こっていることも、自分の光の反射を見ているような物なんです。
実は見ているのは光であって、色を見ているわけじゃ無いんです。

その光はいわば、自分から発せられる光なんです。
そして、その光の反射を見ておりますので、僕らが見ている世界というのは
まさに鏡のようなものなんですよね。

ここでいう光とは、判断であり、この判断は気分や記憶などが絡み合って起こっております。

そんな、気分によって作られた、判断という光を自分から発して、
それを反射して受け取っているっていうことなんです。

色と空

色と空という言葉がありますよね。
これも同じ物に対して、色の方を見るか?そのものを見るか?
ということであり、見ているモノは同じなんです。
ただ、空というものは無色透明です。
なので、実際には見ることはできません。
見れるモノは全部、色となるわけですね。

見るというのは、形をつくりあげる。言い換えるとでっち上げる。
ということなんですよね。

僕らはついつい、どう見ればいいのか?という見方を追求してしまいますが、
どのように見ても、それはでっち上げになってしまうんです。

でっち上げからくるパラドックス

僕らはより正しい見方を追求してしまいますのでね。
ここで矛盾というかパラドックスが生じてしまうんです。
でっち上げなんだ!と聞いてしまうと、より真実を見るにはどうしたらいいのか?
と追求しようとします。
ですが、何をどう追求しようと、どう見てもでっち上げになってしまうので、
キリがないんですよね。

ですが、この追求しようとする働き。これって自分じゃないんですよね。
ただ、その働きが単に起こってるだけなんです。
だから、この働きをコントロールしようとしなくてもいいんです。
それどころか、コントロールしたことなんてないんですけどね。

水の中では水はつかめない

これを確かめてみるには、そのまんまにしておくしかありません。
ただ、ここにもパラドックスがあって、そのまんまにしておこう!としちゃうのもまた、追求する働きにハマることになってしまいますのでねー。

実は元々そのまんまになっておりますのでね。
もうすでに救われているんです。

なので、そんなときは、パンっと手を叩いて、なんでもない中にリラックスしてみたらいいんです。

すべてがもう「それ」です。「それ」以外のものはありません。
だからこそ「それ」を掴み取ることができないんですよねー。

水の中で水を掴むことができないのと似てるかもしれません。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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