Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【自信】探求のしくみと探求の終わり

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ほい。
おっはようございます。
タクさんです。

ヘロドトスというおじさんを知っていますか?
彼は古代ギリシャの歴史家なんですが、
現在ではかれが人類で初めて歴史という概念を作った人だと言われています。
ペルシアとギリシャの戦争について、これを物語ではなく事実として記録する。

それまでは神話のストーリー、英雄の物語として描かれていたものを、事実として記録するとしたことが斬新だったんでしょうねー。

でも、今は歴史というものが確実に存在すると思われていますが、
歴史という概念が発明されるまでは、歴史なんてものは存在してなかったんですよね。

これ、面白いですねー。
つまり歴史もまた概念に過ぎないんです。

やっぱりヘロドトスの歴史本でのクライマックスは、300人のスパルタ人が数十万のペルシア軍を迎え撃つ!という
テルモピュライの戦いですかねー。

 

さて、概念というのは、本来は存在しない意味を作るということです。
なので、僕らは何かを掴み取るとき、
そこに概念を採用し意味を掴み取るんですよね〜。

でね。
実際に目の前で観えているものをスルーして意味の方を注目しているんです。

意味に注目するほど、意味なく存在する目の前の世界は見逃されるんです。
また、概念というのは、「そうなんだ!」と信じることによって現実化します。

ウッソだ〜!って思ったなら、イメージは現実化しないんですよね。
信じるから概念は現実となり、そこ意味がくっつき、その意味は価値を伴ってくるんです。

そして、
意味があるのは価値があることとなり、
意味のないものは価値のないものとなるんです。

まあ、そんなわけで僕らの探求とは
「何を信じるのか?信じるに足るものはどれだろうか?」
と、信じられるものを探し求める旅とも言えるのかもしれません。

僕もよくご質問を頂くのですが、
まあ質問内容を噛み砕いてみると、
何を信じたらいいのか?
何が正しいのか?
これは間違っているのではないか?

みたいなねー。
そういう質問が多いです。

これらの問いもやっぱり
「何を信じたらいいのか?」
という思いがあるから出てくるんですよね〜。

そして、信じられるものを探したいという思いの裏には、
今のまんまでは信用できない。
みたいな思いも含まれていて、
それが「ワタシは足りない」という思いになっているんです。

今の時点で掴んでいるもの。
これは何処かの時点で信じたものなんですが、
僕らは信じたものを随時アップデートしてきたので、
今信じているものもアップデートされることを知っているんですよねー。
このことを恐れると同時に、より信頼できる概念を求めているんです。

これが繰り返されちゃいますので、探求には終りがありません。
終わらせるには逆に、
ワシは何を信じて掴み取ってるんだ?
ということを整理してみることから始めたほうが良いんです。

そして、ストーリーというのは信じているものを元につくられていて、
信じていることがストーリーを紡いでいることを観察してみるんです。

これは、ストーリーが嘘だから、何もかもを信じるな!と言っているのではないんです。
「ストーリーを信じない」というのもまた、観念の一部です。

そしてその観念は、ストーリーを信じない!というストーリーになるわけです。

なので、

信じないというよりは、
「へぇー。こういうことを信じてるんだね〜っ」てね。
単に知ってみるだけでいいんです。

これを信じてるからこういう反応が起こるんだよねー。
ってね。

単に観てあげたらいいんです。単に観るとはなんとかしようとしないということでもあり、
ストーリーや反応。それらがあっていいと迎え入れてあげるということでもあるんです。

  

takuteto.hatenablog.com

 

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