Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

苦しみからの目覚め

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はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
今日もよろしくお願いします。
初めましての方。このブログに来てくださってありがとうございます。

さてさて、僕らは、目の前のことを言葉に置き換えることができますよね。
そして、いつしかこの言葉の方が現実だと思い込んじゃったりするわけです。

ですが、言葉に置き換えられたものは、目の前にある世界を歪めてしまうんですよね。
そこで、ダイレクトさが失われてしまうわけです。

僕らは、なぜそうやって目の前のあらゆるものを言葉に置き換えるのかというと、
言葉に置き換えないと、共有ができないからなんですよね。

僕らは、他人と仮想の世界観を共有することができます。
そのために、言葉による世界観を作るというわけですね。

 

仮想の世界観

ま、そうやって世界観が共有されることによって、
僕らは便利に暮らせるわけで、メリットもたくさんあるわけですが、
いつしか、僕らが持っている世界観は、便利だから作られた仮想の世界観だよ。
あくまでも、便宜上作った世界観なんだよ。
ということが、どこか忘れ去られちゃうんです。
目の前にあるコップはコップではありません。
ただ、コップということにしているだけです。

日本という国があるわけじゃありませんし、
東京という都市があるわけじゃありません。

そういうことにしておこうね。
としているだけなんです。

そしてまた、この仮想の世界観の中に、自分という概念もあるわけですねー。

概念は次々と新しく発明されてきました。
時間の概念もそうですし、歴史という概念もまたある地点で発明されたものなんです。

世界観には「自分」も含まれる

こうやって世界観を共有していくという特徴を持っているんです。
世界観の中には自分という概念も生じてしまいますから、
自分の世界観が損なわれる時は、同時に自分という概念も損なわれてしまうという錯覚があるんですけどね。
それを僕らは恐れるんですよね。
自分が損なわれる=(イコール)自身の死。といったようが錯覚をしてしまったりするんです。
ま、なので、自分の世界観を大事にしながらも、自分とは反対の世界観もちゃんと尊重してあげるのが大事なんですよね。
どんな世界観にも価値の差はありませんからね。
ワタシが信じているスピリチュアルな世界観こそ高尚であり、それを知らない人はまだ未開の人なのである。
なんてことはありませんし、
科学的じゃない考え方をする集団は、科学を知らない劣った人なのである。
なんてこともありません。
世界観は全て等しく思い込みだというわけです。

世界観同士の争いは不毛

まあそんなわけでね。
こっちが正しい!いや、ワシの方が正しい!
とか言い出すと、終わりのない不毛な言い争いが始まるんです。
だから、世界観は正しさを主張するものじゃなくて、
ただ、好きだからそれで遊ぶ!ということであって、
それ以上でもそれ以下でもないわけなんですけどねー。

ただ、僕らは、自信を失う時、世界観に操られてしまう。
なんてこともあるわけです。

自分を信じられないから、世界観に依存しちゃうんですよね。
まーそもそも、自分というものは信じるものじゃないんですけどね。

自分の世界観が信じられない時、他の世界観に依存したくなっちゃうんです。

洗脳のカラクリ

よく、洗脳なんて言葉がありますが、これもある世界観に自身を染め上げる。
というのと一緒です。

だから、教育も宗教も社会も文化もすべて洗脳だといえば洗脳なんですが、
洗脳が起こるのは、自分という概念よりも世界観のほうが上位にあるという思い込みによって起こるのが洗脳なんです。

ただ、自分はこれが好きだからそれで遊んでるだけだよ。
だったら、世界観に支配されることもないんですよねー。

恐怖によって洗脳される

僕らがなんでも良いですが、とある世界観に囚われてしまう、世界観の奴隷になりやすいパターンというのがあります。
それが、強欲か恐怖に支配されている時です。
強欲と恐怖は、世界観の奴隷になりやすい状態を作るんですよねー。
だから、よくある詐欺は、この強欲と恐怖を必ず刺激してきます。

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みたいなね。
知らんけど。

老後への不安に対する恐怖。楽してお金が入ってくるという強欲。
ここを刺激されちゃいますと、ついついフラーっと話に乗っちゃいそうになるんです。

このツボを買わなきゃ、あなた、地獄に落ちるわよ!
みたいなのと一緒ですね。

ここまで、あからさまなものは少ないですが、うまーく欲望と恐怖を刺激されてしまうと、僕らはついつい、吹っかけてくる世界観に乗っかっちゃったりするんです。

世界観は信じるものでも疑うものでもない

何かしらの世界観にすがりたくなっている時は、自信を失っている時です。
その自信とは自分の持っている世界観への疑いです。
でも、世界観に価値の差はありません。
あくまでも、好きか嫌いかでしかないんです。ファッションのようなものであり、
遊ぶものなんです。
だから、世界観は信じるものでも疑うものでもないんです。
あなたは、世界観に支配されるような小さなものではありません。
どんな条件も当てはまらない無条件で偉大なものなんです。
だからね。
「あー、何かしらの世界観にすがりたくなってるなー」
って感じた時は、あれ?ワシはもしかしたら世界観を履き違えているんじゃないか?
これはファミコンのソフトのようなものでしかないんじゃないのか?
ってなことをね。ちょっと確かめてみると良いかもしれません。 

takuteto.hatenablog.com

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