Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

観念のエネルギー

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くほー。
調子に乗って食べ過ぎて胃の調子が悪いタクさんです。
みなさん、素敵なグルメな休日。
堪能していらっしゃるでしょうか??

さて、
僕らがついつい引き込まれちゃったりするストーリー。
そのストーリーには、そのお話の大前提となる観念が存在しております。

大体の観念は、これではダメ。だとか、こうあるべき。
と言ったものが土台になってたりするものです。

なのでねー。
ここで試して欲しいのは、
まずは嘘でもいいから、許してあげてみる。
ということなんです。

「ま、それでもいいか。」

っていう感じですね。

すると当然、
「いやいやいや、、良いわけないだろうがー!!!」
ってねー。

すごい勢いで、責めてくる衝動が起こるかもしれません。

 

この衝動が強過ぎて、
ついつい私が同化しちゃうんです。
なんて感じてる方もおられると思うんですよねー。

でもね。

この衝動自体は、実はエネルギーを持ってないんですよね。
つまり、恐るるに足らず、なんですよー。

そんなバカな!!!

って感じられるかもしれませんけどね。

この衝動にエネルギーを注いでいるのは、
私だったんです。

つまりフォーカスすればするほど、
エネルギーを供給していたということなんですよねー。

そして、フォーカスしちゃう動機のほうにね。
この衝動に大きな力があるという錯覚を起こさせる原因があるわけです。

あ、自分がエネルギーを供給してたのね。
という発見は、その衝動に妙に力を注がなくて良くなる手がかりになってくれるんですよねー。

いままで、その衝動の従者のようになってしまっていたと感じていたことが、
実は衝動にはなんの力もなく、その衝動と闘わなくてもいいという発見にもなるんですよねー。

なのでね。
単に観るだけで良いんです。

ちょっと距離をとって観てみると良いと思います。

その衝動が体の感覚を伴って自分の内側で起きているように感じるのであれば、
自分の体の外に持ってきてあげるんです。

そして、なるべく距離をとって観てみると、その衝動がまるで窓の外の景色のように感じられるかもしれません。

窓の外がいくら嵐で荒れ狂っていても、観ている私はその嵐に一切影響を受けていなかったことに気がつけます。

あまりに近くにフォーカスしていたので、巻き込まれているように錯覚していただけだったんです。
そして、嵐にはエネルギーはなく、
観ていたのは自分の方のエネルギーだったんですよねー。

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