Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

比較による悩み

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ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

よくある人の悩みがね〜。
結局のところ、人との比較によって出てくるものが多かったりするんですよねー。

人ってね。
自分に近いものを選んで、そしてわざわざそこで比較をするんですよね。

これ、
ちょっと面白いですよね。

近いと思う人をわざわざ選んでおいて、
そこでちょっと違うところをわざわざ探し出しては、
比較をして一喜一憂するっていうね。

近い!
って思ってるくせに、
違うっ!と思って悩むって、
何がしたいねん!
って話なんです。

 

ま、そういうところを可愛く見守ってあげれば良いんですけど、
どうしても、
「私は普通じゃない。」
「普通のことができない。」

みたいな悩みを持ち込んじゃうんです。

その普通は、マサイ族でも普通とされてることなんですか?
と自分自身に聞いてみると、多分、そうじゃなかったりすると思うんです。

ちなみに、マサイ族と日本人の遺伝子は、99.9%一致しています。
もっというと、我々人類の遺伝子も99.9%一致しています。

なのに、人って全然ちがーう!って思うのは、
育ってきた環境による違いが大きいからなんですが、
この違いっていうのは、観てきたものや聞いたことが違う。
とも言えます。

そして、観てきたもの、聞いたこと。教わったこと。
というのは、思いっきり強引に言いますと、ぜーんぶ主観的なルールなんですよね。

人生をなんのルールで遊ぶのか?
それが違うだけなんです。

さらには、どんなルールで遊んでも良い!
わけでして、ルールに縛られなきゃならない理由なんてどこにもないんですよねー。

さて、
僕らは、何かを掴むためには比較が必要になります。
そして、僕らが見ている世界はすべて、掴まれたものだということです。

掴むための比較のルールは、聞いたこと。教わったことでできているというわけです。

そして、僕らが人と比較するときは、
わざわざ近いと思う人を引っ張り出してきて、
そこで比べたりもするわけです。

ただ、この近いと思うというルールも
主観的なルールだという訳なんです。

本来、比較になんの意味もありません。
なので、比較に苦しむ必要は一切ないんですよね。

そのことをついつい忘れちゃう場合には、
人と比べてしまった時に、
もうその人は宇宙人だと思えば良いんですよ。
マサイ族でも良いですけど。。。

そうすれば、
あー、だったら比較しても意味ないわ。
って思えますもんねー。
そこで比較の無意味さを思い出せるかもしれません。

あとはあなたが、なんのルールで遊ぶのか?
そんなあなたの中からやってくるワクワクの声を聞いてあげればイイと思います。

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