Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

愛を表現したらそれで万事オッケー!

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おっはよーございやす!
タクさんです。

お釈迦さんは、
「徳を積みなさい。」
ってねー。
ゆーてたと言われています。

この徳を積むってなんだろう???
ってねぇ。
思いますよねぇ。

簡単にいうと、
善きことをすれば良いのね。
ってことなんだろうなぁって事なんでしょうけど。

じゃあ、善きことってなんですのん?
っていうとねー。

やっぱ、周りがラクになる。
楽しくなる。
幸せになる。
そんな素材なり環境を提供することなんじゃないかなーって思うんですが、

そのためにはどうすれば良いのか?
って言いますとねー。

やっぱ、自分を思いっきり表現させてあげること。
そして、自分を思いっきり愛でてあげること。

これがね。
基本なんじゃないのかな?って思うんです。

 

じゃあなんでお釈迦さんは徳というのものを積めって言わはったんやろう??

自分を可愛がってあげれば良いよーっ。
って言わずに、徳を積みなさい。って言ったんだろう??

ってねー。
ちょっと考えてみたんですけど、、、

やっぱりねぇ。
自分を可愛がる。というのは、その通りなんですけど、
やっぱりこれって、ちょっとした誤解もあるんですよね。

自分を可愛がるというのを、よくよく観察してみますとね。
極まるくらいに観察すると、本来の自分を思いっきり表現させてあげること。
これに尽きてくるんです。

では、本来の自分ってなんやねん?
と言いますと、妥協のない分離のなさなんです。

それって何かと言いますと、
ちょっと、ポッと頬を赤く染められそうになるんですけど、
やっぱりね。
愛なんですよ。

愛の表現。
これが徳なんやと思うんですけど、

でも僕らの自我ちゃんは、分離を前提にしてますのでね。
自分を可愛がるって言っちゃうと、分離の上での自分だけが得をする行動に走りがちだったりすると思うんです。
そうなると、本来の僕らの正体である「愛」が、分離の前提によって、覆い隠されちゃっていて、自分の中の他人を蹴落として自分が得をしよう!なんていう、
自分で自分を傷つけることによって、自分が得を得よう!
と言うような、よくわからんことになってしまったりもするわけです。

そこで、まず、
「ちょっとあんた!あんたの、本当の正体は、愛なんやで!わからんのやったら、まずはそのように行動してみたら思い出すかもしれへんで!!!」

という意味で、徳を積みなさい。ってねー。
言わはったんとちゃうやろか?

なーんて思ったんです。

なのでね。
やっぱり徳を積むって言うのは、
思いっきり、自身の愛をあらゆるものに惜しみなく注いであげること。
これやと思うんです。

外にあるように見える物事や他人は、自分の中にあります。
そんな、自分の中の他人、自分の中にある物事。
これらにも、思いっきり愛を注いであげたら良いんです。

するとね。あなたは本来、愛そのものですので、あなたを思いっきり表現していることになるんじゃないかなー。
ってね。
思ったりするわけです。

もちろん、自己犠牲をして何かに尽くすと言うことじゃありませんけどね。
それだと、蹴落として得をするの逆をやることになりますので、
やっぱり、自分を鞭打ちながら良いことして気分をよくしようといったようなよくわからんことになりますのでねぇ。

なので、自分が喜び、そしてその喜びを伝染させていくようにすれば、もうこれは徳になりますし、win-winなんだと思います。

 

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