Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

最も深く、そして、最も身近。

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先日、ストパーをあててご機嫌のタクさんです。
最近のストパーは、あてたところはずっとまっすぐなんです。
だから髪が伸びない限りはまっすぐなんですよねー。
半永久的に落ちないストパーなんて以前は言われとったんです。

アムロちゃん、「永遠」って言葉知らんかったんやぁー。
このストパーはかけたところは永遠にまっすぐなんだよ。

そうそう。
この縮毛矯正っていうストパー技術は日本発祥なんですよね。
日本よりももっと天パー率の高い海外ではもっと需要があると思いますが、
なかなか海外ではこの方式のストパーをやってるところはないみたいです。
海外進出のチャンス!ですよね。

と妙なテンションで失礼いたします。
おはようございます。

 

さて、話はグッと変わりますが、
あなたは、あなたですよねぇ?

ちょっと唐突ですが、ま、当たり前ですよね。

あなたを説明する言葉は色々とあるでしょうが、
言葉以前にあなたですもんね。

りんごを説明しようとすると、
赤いとか、丸いとか、ジューシーとか、甘酸っぱいとか。
色々と説明できますが、どの説明もリンゴではありませんもんね。

「甘酸っぱいものといえばー!!」
「せーのっ!」
ってやっても、まあリンゴも出てくるでしょうけど、
百発百中とはいきません。


多分、僕はキウイ!とか言ってしまいそうですし、、、。

でも、リンゴは説明される以前にリンゴです。

もっというと、リンゴという名前ですらない。
リンゴでもアップルでもないものですもんねー。

当然、あなただってそうですよね。
どんな説明をつくしたとしても、その説明はあなたではありませんし、
どんな説明よりも、それ以前にあなたですし、
名前ですらあなたではなくて、あなたは名前以前にあなたですもんねー。

最も身近にあるもの。
それがあなた自身なわけですもんね。

そして、あなたは、「あなた」でも「ワタシ」ですらないというわけです。

リンゴがリンゴでもアップルでもないのと同様にね。


さてさて、
こうなってくると、りんごって何?
って言おうとしても、それはそのように単にあるもの。
くらいにしか言いようがなくなっちゃいますよねー。

木から落ちた実だけを扱ってそう呼んでいるだけですし、
じゃあ、木はりんごじゃ無いのか?と言われると、りんごですし、
りんごの木なんて言ったりしますが、そもそもりんごのためにその木があるわけじゃなく、木からリンゴができたとも言えますし、
じゃあ、絶対的に木がりんごを作ったのか?と言われると、
土や太陽が作ったとも言えますし、、、。

どのように表現しようとしても表現はできないけど、在るとはいえますよね。
で在るといえるのはなぜかというと、それに気づいているからとも言えるかもしれません。

気づいている主体と気づかれている客体があるのかというと?
確かに主体があるように感じますが、
この主体は、客体として捉えてる何かがあるとしているから主体として認識しているだけで、
よくよく観察してみると、気づいているものと気づかれているものって一個なんですよね。
対になっているんじゃなくて、一個なんです。
一個を対だと見なしているだけなんですよねー。

よく非二元なんかの表現では、
「それ」は説明できない。言葉では言い表せない。
そしてそれを知るのに何かできることはない。

なーんて言いますが、一個であり全体であるものの中で、対(つい)の関係性を勝手に作り出していただけに過ぎないんじゃんっ!ってことを発見すると、
なんで表現されたもので理解しようとしてたんだろう?
そのものを見もせずに。。。ってね。
ものすごーく当たり前のことに気づいちゃうんです。

すると、レッテルをくっつけてわかったと思ってたものってわかってないですやん!
ってことにも気づいちゃうんですよねん。

立ち位置を、作られた理解の世界の方に置いていると、「それ」はそこからは遠く最も深いところに在るように見えますが、
実際のところは、自分自身に最も近いところが「それ」だったんですねー。

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