Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

主体は存在しません。つまり自分はいません。

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はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

まーねー。
結局のところ、ホント、あなたは今のあなたで完全にアリアリのアリ!なんですよね。
アリよりのアリどころじゃなく、アリアリのアリ!なんです。

普段からそんなことをお伝えしているんですが、
どうにも、そうは思えないんですー!
ってね。
よく言われます。

思えるか?思えないか?
なんてねー。
どうでもいいんですよね。

思いがどう思ってようが知らんがな。
なんです。

なんで、思いのご機嫌を取らなきゃならんのよ。
って話なんですよねー。

感情も一緒です。
嫌な気分もいい気分も知ったこっちゃありません。
それは、感情の話ですのでね。

好きにやってりゃいいじゃん!
って話なんです。

僕らは、何でもかんでも「自分」にしすぎです。
本当は全ては自分ではないんです。
いつしかそういう錯覚を持ち始めたんですね。

変な話ですが、あらゆるものが自分じゃないと気づく時、
元々あった全てが目覚めます。
この全てはまさしく全てが自分であり、そして全てが自分であるということを知る時、
自分は消え、全てが残るんです。

ま、確かにお前は何を言っているんだ!
って感じる気持ちもよくよくわかるんですけどね。
続けていきたいと思います。

 

全ては対象

僕らが観ているもの。感じていること。
目の前の世界の全て。
これってねー。
全部対象ですよね。

遠くに山が見えるとします。
もちろん、この山は対象ですよね。

目の前に机があります。
これもまた、対象ですよね?

聞こえてくる音もまた、対象です。
梅干しの酸っぱさ。これもまた対象なんです。

これらはぜーんぶ対象であって、主体ではないんです。

対象の中に「自分」もある。

でねー。
ややこしいのが、山とか机とか。
これらが対象だというのはわかる。
でも、
身体、自我ちゃん、性格、信念、考え・思考・感情・心
これは主体だ!
ってねー。
思っちゃったりするところに、錯覚があるんです。

目の前にあるコップと、自分の身体。
これらは、同じ対象なんです。
自我と呼んでいるものも、性格と呼んでいるもの。
信念に考え・思考。
感情や心。

これらは、
目の前のコップに気づいているのと同じように、
気づいているんです。

コップが自分ではないのなら、
同様に、これらも自分ではないんです。

全ては、とある反応が起こった時だけ、それにレッテルを貼って分類しているだけです。
レッテルを貼って分類されたものはすべて対象なんです。

主体がないなら対象もない

僕らはどこを探しても、自分を見つけることができません。
見つかるもの、これらは全てが対象だからなんです。

うっはー!全部自分じゃないじゃん!ってことなんです。

つまり主体はどこにもいないんですよね。

そうなってくると、おかしなことになります。

だって、主体があってこその対象なのに、その主体がないんですもんね。

つまり主体と対象という分類もまたないんです。
これらは一個なんです。

主体と対象が溶け合う時

主体と対象もないのかー!となると、主体と対象は溶け合います。
主体という意味が消え、対象という意味も消えるんです。
その時、分離は消え、ありとあらゆる全てが残ります。

これが、逃れられない真実であり、僕らはこの真実と常に一緒に在るんですよね。

僕らは普段あたりまえのように生きていることを知っていると思います。
でもそれ以前に言うまでもない真実があるんです。
それが「それ」なんです。

僕らは、あらゆることを知る以前の生まれたての赤ちゃんの時は「それ」でした。
だから、「それ」に言葉を当てはめることはできません。
なぜなら、言葉を当てはめるとそれは一つの対象に成り下がるからなんです。

 
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