Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

混乱の原因

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ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

お盆休みですねー。
都内は少々空いています。

ま、僕は普段通りにお仕事って感じなんですが、
皆さん、楽しいお盆を迎えられておられるでしょうか?

お盆といえば、子供の頃、ぼく、カブトムシが大好きだったんです。
この時期は色んなところでカブトムシが売ってるんで、もう興奮しっぱなしでしたねー。
当時は図鑑の中でしか見られなかった海外のカブトムシも
今はペットショップで普通に売ってるんですよねー。

うぉー!
これ、ヘラクレスやんけ!
おお!これはコーカサスか!!

ボロボロになるまで見てた図鑑の写真の中の海外のカブトムシが
ペットショップに並んでいるのを見てちょっと興奮してしまいました。

 

さて、話は全然変わりますが、
僕らがね、分離の観念上で見る世界って基本的に混乱してるんですよねー。
つまり、分離と混乱はセットになっておるんです。

そしてその混乱が探求を生じさせるんですねー。
足りない何かを埋めようとするっちゅうわけです。
そりゃ、観念上で分離させておりますからね。
足りないという思いが出てくるのも仕方がないことなんですけどねー。

そして、この混乱とは「わからん!」という思いだったりするわけですが、
もっと正確に言うと、
混乱とは「わからなきゃならない!」という頑なな信念だったりするわけです。

なので、「わからん!」があると、それを理解で埋めなきゃならないって思うわけです。
だからわかるまで何度でのトライしようとするんですよねー。

わからない!っていうのは、どうにも自己防衛本能さんからすると危険に感じるんです。
この自己防衛本能からくる働きが自我ちゃんというわけですねー。

でもねぇー。
分離のなさっていうのは、理解できるもんじゃないんですよねー。
そもそも理解する主体がおりませんし、

どちらかというと、その理解は、
「理解しなくてもいいんじゃ~ん♪」
っていう開き直りの中にある感じですのでねー。

なので、分離のなさを理解しようとするとますます混乱し続けちゃうんです。

もしかしたらわからなくてもいいのかもしれないっていうねー。
そんな可能性を感じて見た時、

わかる、わからんの二者択一の世界の中での、わからんではなく、
この二者択一の世界から一旦離れてみる感じ。
あ、これ、離れられるんやーっていう発見のなか、
その離れたところでちょっとリラックスしてみた時、

「わからんかったら意味ないやろー!」って騒いだりする衝動があるかもしれませんが、
この衝動ちゃんに乗っかるんじゃなくて、スルーしつつも見守ってあげてみたらね、

見守ってあげるだけで、もうこの衝動ちゃんと離れてることにも気づけると思うんですよね。

おお!この衝動の奥に「わからなきゃならない!」という原動力があったんかいなー!
ってことも発見できるかもしれません。
こいつが混乱の原因となってたやつなんですよね。

その原因も、その発見さえも、そのまんまに置いておいて、
なーんもない心の奥の空間にリラックスしてみるんです。

混乱の原因が発見された時、それはもう混乱ではなくなってるんです。

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