はーい。
おっはようございます!
タクさんです。
普段、ご質問もよく頂くんですが、
「AなのかBなのか、どっちなんだー!」
という質問は良くあります。
自分はいるのかいないのか?どっちなんだ!
バシャールはいるのか??いないのか?
これは幻想なのか?それとも真実なのか??
みたいなね。
そういうたぐいの質問なんですけどね〜。
この、
Aなのか?Bなのか?
白なのか?黒なのか?
っていうねー。
この分けたがる衝動。
これこそが分離のエネルギーなわけなんです。
分離のエネルギーは、イコール探求のエネルギーなんです。
僕らは、分離をしないと何も掴めませんから掴み取るために分離という公式を使うんです。
そうやって仮の線引き、仮の分離によって何かを掴み取ります。
この分離の公式が仮の線引きですので、仮の線引きによって、掴み取られた世界も仮の世界だというわけなんですよねー。
そして、より真実に近い線引きを求めたりするわけですが、
この線引きは全て仮想のものですので、そこにどちらがより正しく、より正確だ。
なんてものはないんです。
AなのかBなのか?
この問いがまさに正義であり、当然どっちかであるはずだ!
というね。
この正義をまずは疑ってみるといいと思うんですよねー。
そもそも、
AでもBでもないわいっ!
って話ですからねー。
この分離のエネルギーに乗っかると、延々と、
どっちが正解?
どっちが真実?
に惑わされ続けちゃうってことなんです。
僕らは何かを理解するには、
分離を使わなきゃ理解できないんです。
でも、この分離自体は幻想なので、理解されることも幻想になっちゃうんですねー。
探求の終わりとは、この理解と分離の仕組みが見抜かれるということなんです。
これが見抜かれたところで、何かを捉えるには分離を使うことには代わりはありません。
ですが、何がより真実に近いのか?みたいなね。
そもそも存在しない問いへの執着はもうなくなるんです。
これが正しい。これが真実なんてことよりも、
こっちのほうが好き。これは嫌い。になるって感じですかねー。
価値の差がないので、より好き嫌いで選んで良いことを知るんです。
そして、分離がないをわざわざ装わなくても良いんです。
つまり、「私はいない」を装わなくても良いということなんですよね。
それを装わなきゃならないのは、どちらがより正しいのか?というこだわりがあるからこそ起こる衝動なんです。
そもそも、分離されたものに価値の差なんてないので、どちらがより正しいのか?
なんてのも無いんです。
より正しいがないということが、安心とお気楽さにつながるというわけなんですよねん♪
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