Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

そっか!生かされてたんやん♪

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もし、考えや記憶を自分がコントロールしてるんだとしたら、もうトラウマの問題なんてなくなります。

物事なんて考え方次第で何とでも変わるのですぐさまみんなハッピーになります。
でも、そうはならないのは、記憶も考えも自分がコントロールしてるモノじゃないからです。

身体だって自分がコントロールしてるわけじゃありません。

心臓だって自分で動かしてるわけじゃないですし、
爪が伸びる速さを自分で決めてるわけでもありません。

でも、爪を切ることはできるで!
これはワシが決めてるで!

って思いますよねぇ。

ホントは自ら切ってるんじゃなくて、切らされとるんや!
って話なんですが、

この辺のことがコントロールは自分がしていると思っちゃう要因であったりもするんですよねん。

 

感情や感覚が起こってくるのはコントロールできませんが、その感情や感覚にストーリーを付け足して発展させることはできるわけです。

これも、自己防衛本能にそうさせられてるとも言えるわけなんですが、
自分がやっている!って思っちゃうんですよねー。

レールの上に転がるビー玉がレールのカーブを曲がるとき、自分が曲がってるように感じるのに似ています。

そして、自分でやっていると思うから、考えや記憶の責任を自分に持ってきて、自己嫌悪に悩まされたりするんです。

そして、ストーリーを発展させれば発展させるほど、自分をそのストーリーに閉じ込めてしまうことになり、そこに苦が生じるんです。

あまりに狭いところに閉じ込めようとしすぎちゃいますと、無理に押し込めることになりますので、どうしても摩擦が生じるんですよね。

その摩擦が苦の正体なんです。

僕らが自分だと呼んでいるもの。

それは元々は判断やコントロールが起こる以前から「在る」ものです。

その「在る」ものに、自分という定義を付け加え、さらに判断の中に閉じ込めてそれを自分だと呼んでいるんですよねー。

判断やコントロールが全てであった「在る」を非常に狭い部分に限定させますので、そこでストレスがかかっちゃうんです。

このストレスに対して、自然に元からある自己防衛本能が反応するときに、病気だったり、心的ストレスを生じさせるんですよねー。

もちろん病気はそれが全ての原因ではないわけですが、ストレスからくるものは、ものすごーく多いんです。

もちろんそれだって、なるようになってるとも言えるわけですが、もったいないですよねぇ。
イメージの中に自分を閉じ込めちゃうなんてねー。

で、多分、こんな妙なブログを読んでるという事は、あなたもどっかで「もうそれは、もったいないわぁ」っていう思いがあるからかも知れません。

つまりこのブログだって自分が読んでるというよりは読まされとるとも言えるわけです。

誰がそうさせているのか?って気になるかと思いますが、そんな誰かがいるわけでもないんですけどね。

もったいないなら、自分を解放させてあげれば良いんです。

それは、付け加えられた思い込みに閉じ込めずにいてあげたらいいだけなんですよね。

それには、我慢した自分を慰めてあげたらいいんです。さすってあげるんです。
手当てをしてあげるんですね。

お腹の奥や胸の奥に緊張感があるなら、さすってあげたらいいんです。
そして、閉じ込めてる原因となっていた思いもまた、同時に閉じ込められてた自分と同じものですのでね。この思いも愛でてあげるんです。

元々許されているものですのでね。ちゃんと許されたものとして扱ってあげるんです。

そうすることでほぐれていってくれるんです。

そして、湧き上がってくるオモロイことをちゃんと育んであげるんです。

今までは思い込みが邪魔をしてうまく生育されてなかったこともあるかもしれません。

それを育んであげるんです。
そのオモロイを表現させてあげること。そのために生かされとるわけですのでねー。

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