Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自身を満たすと言うこと

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自分を満たす。満たされる。
っていうことはねー。

自身から湧き上がるワクワクを湧き上がらせてあげる。っていうことなんですよねーん。
その湧き上がる表現を脚色したりしなくても良いですし、何かしらの意味や価値観で縛らなくても良いっちゅうことです。

ノリノリの奇妙なダンスを踊りたくなったのなら、意味など考えずに踊って見たらええんです。

湧き上がるワクワクに乗っかってりゃそれでもう幸せなんです。

ダンスを踊るから幸せなんじゃなくて、幸せからダンスが湧き上がってくるんですよねん。

別にダンスやなくても良いんですけど。

 

つまり、幸せをどこかに探す必要はないっちゅうことですね。

「それ」を価値観や意味で縛り付けることをやめたら、それは湧き出てきますんで。

湧き出てくるものは、もしかしたら、
なーんの役にも立たん平凡なことかもしれません。
でもオモロイならそれに乗っかりゃ良いんです。

そしてその表現を湧き上がらせてあげたなら、
その幸せは周りにも伝播しますのでもう最高の世界平和への貢献ってなもんです。

ただ、世界平和のために〜!ってなると、それは湧き上がるもんやなくて、急に義務感からくる違うもんになってきてしまうんですけど。

なので、何かのために〜!なんてものも、ほったらかしにしておいて、
わいがオモロイねーん!で良いんですよねー。

幸せも、自身のオモロイ表現も、ワクワクも、幸せも、
どこかにあるのを探すんやなく、
ちゃーんと最初っからここにありますんで。
それを湧き上がらせるのを邪魔さえしなきゃ良いわけです。

ポジティブなこと考えてるから幸せになるんやなくて、幸せやからポジティブな考えになっとるわけであって、
ついてるついてるゆーて幸せになったわけでもなく、幸せやからついてるついてるゆーてるわけであって、
手を叩くから幸せってことやなくて、幸せだから手を叩く!っちゅうわけでして、元々の最初に幸せありきなわけなんですよねん。

悟りを理解すれば幸せになるわけじゃなく、
最初っからある幸せを抑え込んだり、邪魔さえしなきゃ、悟りなんて条件もいらんわけなんです。

判断や価値観からくる恐れや不安を抑え込もうとすると、湧き上がるワクワクも一緒に抑え込まれてしまったりします。

せやから、不安や恐れも存分に出してあげりゃ良いんです。

うわぁ、めっちゃ怖がってるやん!可愛いやん!!ってなもんでねー。
めっちゃ悲しいなら、存分に悲しんだら良いんですよね。

これは発散させるというよりは、認めていさせてあげると言ったニュアンスですかねー。
発散ってどちらかというと、抑え込むみたいなもんですのでねん。

ま、そやって、湧き上がるもんに乗っかってますと、いつしか
あれれ?乗っかってると言うよりはそれ自体しかあらへんやん。
湧き上がるワクワクが、もうすでに自分であって、
あー!この全ての表現が自身そのものなんやーん。

それに乗っかる誰かもおらんやーん。
なんで乗っかってた気分になってたんやろ?
んなわけないのに。

ってなことになってきます。

自分がそれに溶けていき、溶けた時に、実は最初っから溶け込んでたことに気づくんですよねん。

自分が満たされるんじゃなく、すでに満たされたものしかなかったんです。
満たされる自分も満たす自分もおらんのんですねー。

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