Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

覚者の言葉からくる誤解

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ふぃい。
おはようございます。
タクさんです。

子供の頃はカチカチになってた親指のファミコンだこ。
今はすっかりそのタコも無くなってしまいました。

そんななか、久々にアクションゲームに興じていたせいか、
親指が痛いです。

さて、
今日は、僕が抱いていた覚者さんや聖者さんと呼ばれている人たちの言葉から受けた誤解について書いて見たいと思います。

 

よくね。
「あなたの自我を焼き尽くしなさい。
あなたが自我を受け入れているからあなたは自我の中に押し込められているんだ。」
みたいなこととか、
「間違っているのは、世界ではなくあなたの見方だ。あなたが見方が世界を歪ませているのだ」
みたいなことが言われてたりするじゃないですか。
細かいニュアンスは違うかも知れませんけど。

そういうのを読んだり聞いたりしては、
「そっかー。まだ自分の中に自我が残ってるんだな。」
「そしてそれが残ってるから、まだまだ間違った見方をして真実が見えないでいるのかー」
ってね。
思ったりしてたんですよね。

だから、ジニャーニだとか、覚醒だとか、アセンションだとかハックションだとか、
そう言ったものを努力して得なければいけないんだ。
と思ってたんです。

だって、そう覚者の人が言うてはるんやもん。
じゃあ、それを得るためにはどうしたらいいんだろう?

って思いますよね。
だからそれを得るヒントを貰いたくて話を聞きに行ったり、
本を貪り読んだりしてたわけです。

ただ、言い方は難しいですが、
ホントの「それ」は言葉や本から得ていた印象とは全然違ったんですね。

それは覚者さんの言葉や表現が間違っていたというわけじゃなく、
ホントその通りだったんですけど、

印象としては
「全然違うやーん!」
って感じだったんですよねー。

なんていうか、それは完全な受容であり、許しなんですね。

それ、いろんな人がもう既に言ってるで。
違ってないで!
って言われそうですけど(笑)。

違うんですよ。

なんていうか、既に満たされてるんです!

うん。それも聞いたことあるって言われますよね(笑)

でも違うんですよ。

まあつまり、そういうことなんです。
どういうこっちゃ!ってことなんですが、

満たされてるし、許されてる。
って言われちゃうと、僕は、
「まだ自分には満たされてない何かが残ってる。」
って思ってたわけですよ。

なので、その差を埋めようとしちゃってたわけです。

でもね。
実は、許されてたのは、
その差を埋めようとしちゃってたとしても、それで許されてたということなんです。

その差を埋めんでもええねん!それで許されとるねん!
っていう事だったんですよね。

そうかー。自分で満たされてないということにしてたんですよね。
条件をつくって。

満たされていたのは、
まだ満たされてない。と思ってる状態。そのまんまで満たされてたんです。

悟りとか目覚め。
これらもある種の条件になっていて、

それには、こういう状態が必要だ。
というような条件もまた自分で作っていて、
その条件が満たされていないという思いもまた、
自分で作っていたんですよね。

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