Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分を満たすということは、自我を満たすということではありません。

はじめに

ふぇーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

今日はですね〜。
自分を満たしてあげる。
って言うことについて書いてみたいと思います。

というのもですね。

自分を満たすということって言うことを聞いちゃいますとね。
自我を満たすことと混同しちゃうところがあるからなんですよね〜。

僕らってね。
常にこの自分の自我というものを満たしたいと願い、
さらには、この自我をもっと大きなものにしたいとも願うわけです。

そうなりますと、終わらない渇きの連鎖に巻き込まれちゃいますからね〜。
そしてこの、終わらない渇きの連鎖が、
僕らを苦の連鎖にいざなうわけです。

 

自我を満たす

さて、
自我を満たすというのは、自分を満たすということではないよー!
ということを知るにはね。
まずは、この2つの違いを知っておかなければなりません。

この違いについてなんですが、
例えば、自我を満たすというのはどんなことかと言うと、
自分という器を満たそうとすることなんです。

そして、この器をもっと大きなものにしていくということでもあります。

最初はね。
おちょこのような器であったとしても、それが満たされると今度はもっと大きな器にアップグレードされるわけです。

おちょこからコップ、コップから大ジョッキ、大ジョッキからどんぶりばち、更にはもっと大きな器、、、といった感じでね〜。

そして、大きな器になるほど、中々満たされ無いわけです。

またこの器は一つではなく、際限なく増えていくことにもなります。
こちらの器はある程度は満たされているけど、あっちの器はまだ満たされているとは言えないなぁ。
ってな感じになっていくんですよね。

自分を満たす

では、自分を満たすというのは、どんな感じかと言うと、
そういった器をね。
ガンガン壊していくことなんです。

なぜ僕らは、どんな器を満たしても足りないのか?
といいますと、そもそも自分というものは、器なんぞに収まるものじゃないからなんです。

本来の自分が大海原だとしたなら、いわゆる自我ちゃんなんてものは、その大海の水をコップですくっているようなものです。

本来の大海原な自分を僕らは心の奥で知っておりますので、
どんな大きな器を満たしたとしても、全然足りないって感じてしまうんです。

だからね〜。
その器を壊してやれば良いんですよね。

器を壊すにはどうしたら良い??

では、そんな器を壊すにはどうしたら良いのよ〜。
って話なんですが、
これはねー。
そんな器ってもともと無いじゃないですか。

だからね。
無いってことに気がつけばそれでオッケーなんです。

でね。
この無いってことに気づく際のコツがとりあえずウソでもいいから、許してあげるということなんです。

逆に言うと、
許せない!という思い。この衝動が器になっているということなんですよね。

ちなみに、この器はとても複雑になっている場合がよくあります。

器の中に器があって、更にその器の中にもまた、器がある。
みたいな感じで、何重にもなっていたりするんです。

また、その形もバラバラだったりしてね〜。

まあでもどんなに複雑であったとしても、その器は実在するものではありません。
すべてイメージにすぎませんのでね。

それを見破るコツとして、許しというものがあるわけです。

ちなみに、「許さなければならない!」というパターンの器もあったりするので気をつけてくださいね。

 

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