Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ココロちゃんとの付き合い方

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何かにカーッって腹が立ったりね。
そんな時には、
イライラーって腹が立つのと同時に、
おっ!いかん!いかん!この苛立ちを沈めなければ。。。

って思いも出てきたりすると思うんです。

でね。
僕がよく「そのままにしてたらええねんで〜。」
っていうのは、
沈めなければ。。。ってやらなくてもいいっていうことなんですよね。

沈めなきゃいつまでも腹が立ちっぱなしやないかー。
って思っちゃうかもしれませんけど、
イイやんか。
心が腹立ちたい!ってゆーてるんやから。

って許してあげるということなんです。

 

心も身体もいろんなことが起こりますし、
不都合だと思ってることも起こると思うんですけどね。

それを絶対に起こらないように制御しようとしても無理ですからね。

雨が降ってる空に向かって、
「あー。また私は雨を降らしてしまった。
まだまだ自分は修行が足りないなぁ。」
ってつぶやくのに似てましてね。

そもそも制御できると思い込んでるのがそもそも的を外してるという事でありましてね。

心だって天気と同様にどんなことも起こるでしょうし、
身体もね、快調な時もあれば、不調の時もあると思うんですよね。

そして、それに対処するようなことが起これば、淡々と対処すればイイですが、
どうしようもない時もあると思うんです。

そして、それで良いんですよね。
実際のところ、それと自分とは関係がないというか、
それは自分ではないからです。
同時に全ては自分であるとも言えるんですけどね。

この辺はややこしいですが、
実は、沈めなきゃいけないと思うから、イライラが続き、
そのまんまでええやんってなると、起こっては勝手に消えていきますので、
イライラは去っていくんですね。

抑え込もうとしたり、消そうとすればするほど居座り、
いてもええやんってなると去っていくんです。

その時に、
そうか。許せない!ってやってる間だけ居座ってるだけなんかー。
ってわかるんです。

誰がわかるの?というと誰でもないんですけどね。
なんでわかるのに、誰か?が必要なの???
なんで必要だと思ってたんだろう???
って感じになるわけです。

何かがあるにはその所有者がいる。というのが
幻想だったんだねー。ってことなんですよね。

というわけで、僕も楽しくカチンときますし、楽しく悲しみますし、
そして、いずれ楽しく身体は衰えていき、そしてきゃー老けたー!って楽しく大騒ぎして、
そして、身体は楽しく死を迎え、楽しく朽ちていくわけです。

それで良いわけです。
そこに自分という実体はありません。

それで良いとは思えなーい!
って思うかもしれません。

そりゃそうですよね。

そしてそれもまた、自分の思いじゃないんです。
そういう思いがただ起こってるだけなんです。

だから、そうはおもえなーい!ならそれで良いんです。
そういう思いがただ、起こってるだけなんです。

何も足す必要もなく、何を引く必要もなく、
そのまんまは、そのまんまであり、
そこに加わる色んな解釈を通すことによって、世界はカラフルに表現されます。
それは、例えば、
目に見えない光線が水晶レンズを通して様々な色を表現するかのように、
カラフルな表現をしてくれるのに似てるかもしれません。

目に見えない光線が正しくて、色付いた世界が誤りだというわけでもなく、
どちらもそれそのものであり、同時にそのどちらにもそれを管理監督する所有者がいるわけでもないんです。

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