Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

一切の代償は要らない。

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源泉のエネルギーでも、宇宙の大元でも、悟りでも、
言い方はなんでもいいんですが、全てに偏在している「それ」。
この「それ」そのものっちゅうのはねー。
一切の妥協もなく「それ」そのものなんですよね。

なんやそれ?
なんの妥協がないねん?

と言いますと、
一切の説明の必要がないってな感じなんです。
その説明の必要のなさに妥協がないんです。

 

僕らって、
これはなんだろう?
つまりこれはこういうことかな?

みたいな説明を欲しがっちゃいますよねー。
説明をつけようとするクセが強いっていいますか。。。

でも「それ」はどんな説明も受け付けない!
説明不要の明らかさがあるんです。
その明らかさ、説明不要さに妥協はない!

っちゅう感じです。

そして、「それ」を手に入れるのにも
一切の代償は必要ないんです。

これも妥協なく必要なし!って感じなんです。

「どうかお納めくださいー」
「いや!いらん!」
「そうは言わず、つまらないものですからー」
「いや!要らん!」
「もらって損はないですし、どうぞー」
「いや!いらん!」

っていうくらい、一切代償を必要としないんですねん。

肉食をやめて、貪ることをやめて、
足るを知ることを心に留めて、
文句を言わず、真面目にコツコツと、
それを信じ敬い、丹念な修行の末に、、、

みたいなね。
そんな代償も必要あらへんのです。

世俗の考えを捨て、私を差し出し、帰依したのちに、、、。

みたいな代償も必要ないんですよね。

とは言っても、ちょっとぐらいの修行は必要なんでしょ??
「いや!いらん!」
ってな感じです。

むしろ、その代償とその変わり得られるご褒美みたいな観念が、
目の前に当たり前にある「それ」そのものから目を逸らさせているんですね。

喉が渇いていて、美味しそうな湧き水が目の前で湧き出ているのに、
「いやぁー、まだ自分はそれを飲む資格が無いですから〜」
って言ってる感じです。

だからホント完全な手ぶらでいいんです。
お土産はいらんわけです。

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