Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

恐怖や不安と深刻感

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安心せい!
あと100年も経てば地球上の人間のほとんどは死んどる。

と、まあ、んなこと言われたって、
怖いもんは怖いし、不安なもんは不安なんじゃー。
ってのが普通の反応ですよね。

もちろん僕もそうです。

ちなみに、悟りだとか非二元とか目覚めとかは、
恐怖や不安をなんとかしてくれるわけでもございません。

ただ、恐怖や不安が実は不快感の原因じゃないってことは明らかになるんですよねん。
なので、恐怖や不安も可愛いですし愛でられるものであるということはわかるわけです。

こういうのがわかってきますと、自分の中にしまい込んでた恐怖や不安が、
「お!やっとわかってくれたん?じゃあワシも愛でてちょーだい!」
てなもんで、どんどん出てくるっていうパターンは良くあるっぽいです。

最初は、この程度なら愛でてあげられるけど、これはあかん!
ってなったりもするんですよね。

 

ま、それならそれで全然良いんですけど。

ちょっとまったー!
恐怖や不安が不快感の原因やないとするなら、
何が原因やねん!

ってことなんですけど、
結局は、
問題視の部分が原因やったりするわけです。

恐怖も不安もあってええやん。
だって、自我ちゃんはそれが仕事なんやし。。。

ってなると、そこには問題はないわけですが、

いかーん!
この不安は大問題ですぞ!
ってなってると、
それを問題視するわけですね。

問題視をしようとするなら、やっぱり何かしらのルールが必要なわけです。
そのルールに則ってなかったら、それが問題になるわけです。

ルールっていうのは「〜であるべき」みたいなもんですね。

一応言っておきますと、
これはあなたの問題はどってことないよーってゆーてるのではありません。
どってことなきゃ問題になってないわけですしどってことあるんですもんね。

それはそれで良いわけです。

「〜であるべき」というルールがあるから問題になっとる。
というのなら、その「〜であるべき」の嘘さを見抜けば良いことになるわけですが、
実はそれってキリがなかったりもするわけです。
だって、自我ちゃんは常に自分を守ろうと働く機能ですので、いろんな「〜べき」を作るのが仕事って部分もありますからね。
そして、その機能を止めようとするのも、それはその機能に問題があるとしているわけですので、結局問題に振り回される事からは抜け出せず、ぐるぐるしてしまいます。

あまりに重たい感覚なら、プロの力を借りるなりして、癒したりするのはとっても良いことだと思います。
おススメですし、僕も自分には自己流ワークをしたりもします。

それは、運動不足やとちょっと運動するといった類のものですので良いんです。

それが、完璧に癒すべき!つねに安心しているべき!みたいになるとまたぐるぐるするんですけどね。

単に、いろんな〜べきにハマっておるなぁ。。。とまずはハマってたことに気付いてくると、そのうち、〜べきがあっても全然ええんやん!
ってことにも気づくかも知れません。
それと自分とは関係ないやん!っていうか自分って単なるスペースやん!
ってなってきますんでね。

そうか、それも防衛本能として起こっとるわけやからええんやん。
何をこだわっておったのか。。。

ってなるんですよね。

そうなると、不安ちゃんもいていいし、恐怖ちゃんもいていいし、
こいつらも可愛い子やったんやんってなるわけです。

この子らのかわいさに気づくには愛でてあげたらよくわかりるんですけどね。
けなげちゃんって感じで。

悲しいときは泣いていい!っていうことも許されるんですよね。自分の中で。

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