Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

恐怖ちゃんや不安ちゃんも幸せやワクワクと同様にいさせてあげる。

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恐怖ちゃんや不安ちゃんも幸せやワクワクと同様にいさせてあげる。
同じように分け隔てなく愛でてあげる。

それが自由なんです。

僕らの本質は「全て」です。

オールなんでございます。

このオールを何かしらの枠に閉じ込めた時、
その枠の窮屈さに不自由感を感じることになったりするんですよね。

その枠が自分という檻なんですよねー。
その檻が「全て」を何かしらに閉じ込めてるということなんです。

全てである自分に架空の枠を当てはめるっていうことですねー。

でね。
それでも良いんです。

この檻ってもちろんイメージ上のものなので、実体があるわけじゃありませんし、
そのイメージがどう展開しようとも「全て」がその事に対して何かしらの影響を受けるという事でもありませんからね。

でも、「それでええねん」って言われたって、
悪夢ばっかり見てたなら人生そのものが悪夢になっちゃうじゃないかー!
なんてねー。
思いますよね。

 

だったら、その悪夢からどうやって醒めるねん!
って言いますとね。

それはもう、その悪夢が夢なんだと見抜かなきゃしょうがないわけでして、
それが夢なんだと知るには、
悪夢を追い払うんじゃなくて、愛でて許してあげたら良いんですよねー。

追い払おうとしているっていうのは、
同時に単なる夢だと認めずに、それがあってはならないものだ!
と自身で証明し続けているということにもなりますのでねん。

この悪夢は夢じゃなくて現実なんだー!って頭の中で連呼し続けているのと同じようなことになっちゃいますので。
そして連呼された言葉を自分が聞いて、そうだそうだ!と納得するわけです。

その頭の中のイメージの連続がストーリーとなり、現実だとされる世界を作ってるわけですね。

どんな世界を作っても、良いんですけど、
その世界に全てが支配されちゃうのは、なんていうか逆転現象っていいますか、
本末転倒のような気もしますよねぇ。

スマホは道具として使うから便利なのに、
スマホからくるあらゆる通知に右往左往しちゃって、支配されるなら、
道具が主人になっちゃいますもんねぇ。

そういえば、僕もアップルウォッチを使ってますけど、
座りっぱなしでいますと、
ちょっと、そろそろ立ちなさいよ!
とか、
今日はこんだけ運動しましたよ!明日はもっとしましょうね!
とか、
あんた!今、心拍数が上がってるよ!!
とか、
あんた!次の予定が迫ってるで!
とか、
色々と教えてくれたりしますけど、
その言葉をいちいち深刻に受け止めてたら、
キリがないですもんねぇ。

しかも、脳内ストーリーはスマホなんかとは比べ物にならないくらい
いろんなことを深刻さを込めて言ってきますのでね。

ついつい、深刻になっちゃったりするもんなんですがね。
その深刻さが足りない何かを象徴していて、
足りないものを埋めなきゃならないという強迫観念が、
できなかった時の罪悪感を生み出したりしてるんですねー。

もう何かを埋めるための物語にいちいち深刻さを持って支配されなくてもいいし、
恐怖を緩和させる物語に支配されなくても良い。
それでいて起こる物語を、思う存分謳歌したら良いんです。
これが自由です。
これは恐怖が起こらなくなるということじゃなくて、
恐怖は取り去るべきものじゃないことを知るということなんです。

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