「あらゆる思考、そしてそれに伴う不安や怒りがどうしても湧き上がってくるんです〜。」
「うん。大丈夫。それはただ、そういったことが起こってるだけなんです。」
みたいなね。
やりとりが結構あったりしますよね。
起こってるだけ??
大丈夫???
じゃあ、何かしらの「それ」の発見があったり、目覚めや解放があったりしたとしても、何にも変わらないの??
それじゃあ困るんですけど。
って思っちゃったりするかもしれません。
でね、実際のところ何にも変わらないんです。
ただ、分離という幻想から目覚めるだけなんです。
分離というのは、起こることに後付けで付け加えられた概念でしかなかった。
ということなんです。
その概念の中に「私」という概念も含まれるんですね。
そして、あらゆることは、ただ起こり、そして消えていくんです。
何かしらの特定のことが起こらなくなるということじゃないんですね。
例えば、
ワクワクとか至福な感覚だけが起こって、
カチンとくることや、イラっとくること、
くっはー!だりーなぁー!
なんてことは起こらなくなる。ということじゃないんです。
単純に起こることが起こってるだけ。そしてそれらは起こっては消えていく。
ってことが明らかになるんです。
これは、単に分離がないというのが見破られているからなんですねー。
よくそういったことを聞いて、考えちゃうのは、
私がいないってことは、この怒りも私に起こってるように見えてるけど、
私はいないんだから、この怒りもあるように見えてないんだよね!
ってな考えだったりするんですけど、そういう事とはちょっと違うんですね。
私はいないってのはそうなんですけど、怒りは単に起こってるんです。
怒り以前のそういった感情ですね。
良くも悪くもない、そういった判断が介在しない単なる感情です。
無いのは私だけ。「私という概念」だけが無いんですね。
まあ、無いというか概念でしか無い、つまり実在してない物語だということです。
「起こってること」と、「後付けされた概念」との違いがよく分からなくなったりしますが、概念は思考によって後付けされた物語のようなもなんですので、
その概念を観てみたらいいと思うんです。
例えば、怒りに対して見てみるとします。
怒りがあるということは、その対象もあると思います。
特定の相手かもしれませんし、社会といったものかもしれません。
運命といったものに怒りを感じていたりすることもあるかもしれませんね。
そして、その対象があるから怒っている。って考えてたりするんですね。
でも、よくよく観察すると、起こってるのは、
まず、そういった思考と怒りという感覚であって、
この思考は感覚について説明されるために、後付けされた概念なんですね。
このことに気づき、一旦この概念を置いておくとすると、
起こってるのは単に感覚だけであって、
そこに相手がいないということが見えてくるかもしれません。
相手がいないと、ただおこってるだけとなり、そこにずっと保たれることもなく消えていくんです。
消えても消えても何度も思い返し、その感情を引っ張り出そうとしてるのが
概念から生まれたある種の抵抗のエネルギーなんです。
そのまま、消えていくだけのものに対して抵抗してるんです。
なぜ抵抗するのかというと、自分が損なわれているのでは無いか?
みたいな思いだったりするんです。
そのほかにもいろいろな理由が見つかるかもしれませんが、あまり理由は重要では無いんですよね。
そしてもちろん、ここで起こる自分という思いも概念の一つなんです。
分離の概念です。
そして、この分離の概念が抵抗を生み出し、
この抵抗が、何度も感情を引っ張り出して、その感情から生まれる思考、
そして、思考から生まれる感情と物語を生み出し続けてるんです。
心の中でね。
この分離の概念から基づく思考が、不安や怒りなんかが嫌だとは思いつつも、
分離しているので、その原因を自分と自分の外側に作り出し、
そして、反芻してずっとあるように感じてたりするんです。
この分離の概念が、分離の概念だと明らかになると、
ただ起こってるだけで、消えていく。
起こっては消えていき、起こってると意識している時だけは起こっていて、
同時になーんにも起こってない。ってなことになるんです。
この起こっていることは自分の概念も含まれてますので、
自分があっても全然そのままでもオッケーなんですよー。
ってな表現になったりするんですよね。
なので、
「大丈夫なんです。起こってるだけですから。」
みたいなことを先生は言ったりするんですねー。
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