なーんていうか、良いはプラスで、悪いはマイナス。
みたいな。
そんな観念があったりするんですけど、
良いも悪いもどちらもプラスαされて付け加えられたもんなんですよね。
もともとは、何もプラスされてない、それそのものなわけですが、
それっていうのは、究極の普通であり、究極の平凡なんです。
僕らが、何かしらのフィルターを通してみた世界は、どこか普通じゃなかったりします。
このフィルターを外して残るもの。それが「それ」なわけですが、
それって、もう平凡中の平凡。普通中の普通なんですね。
この普通さの受け入れという部分に、どうにも躊躇があったりするわけなんですよねー。
どうしても、なにかしら秀でてないと生き残れないんじゃないのん?
って思ったり、
普通だったら面白くないジャーン。
って思ってたりね。
その普通じゃないように面白くしてるといった側面で見れば、
人生はゲームみたいなもの!ってことになりますし、
生き残るために力をつけていくものといった側面で見れば、
人生とは生き残りをかけた真剣勝負なのである。
みたいな捉え方が起こるわけでね。
それも、どんな捉え方をしようと自由なわけです。
で、どんな捉え方も勝手な観念でしかなく、あるのは究極の普通のみ。
ということになるんですよね。
諦める。
降参する。
というのは、普通ということを受け入れる。
ということでもあるんですよね。
普通が普通だと受け入れられると、
もうそれが全てのベースであり、でもってゴールであり、
何処かに向かっているわけでもなく、ただ在るだけであってもうそれで完成していて、、
完成された中で、自分で作った観念をその中で投影してただけだった。
みたいなことも明らかになってきてね。
その投影の中で何が起こってたとしても、あるのは普通だけ。っていうねー。
なんやねん。
普通で平凡さを受け入れられてなかっただけなんかいな!
ってことだったんですね。
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