Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

引き寄せの法則のジレンマ

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自分の気分は、自分で決められるはずなのに、なんで嫌な気分でいなきゃならないのか?
それやったらいい気分でいればええやないか!
という点に着目して、

じゃあ、気分がいい状態を保とう。
望みがあるなら、もう叶った気分でいよう。

というのが、引き寄せメソッドのキモとなる部分です。
でも、ここには、大きなジレンマがあって、
望みを叶った気分を作るには、まだ叶っていないという観念が必要だと言うことなんですね。

で、叶っていないからこそ、叶った気分を作ろうとしてるわけで、
それやったら、叶ってないという部分をなんていうか大前提に認めてしまってるっていうかね。

目的として、何かしらの結果を引き寄せようとする意識が、叶ってない現実という観念も作っちゃうんです。

だから全部忘れて、ただ、叶ったように振る舞えばいい。
なんて言われたりするんですけど、
やっぱり、どうにかしようとしちゃう時点で、
叶ってない大前提がなかなか消し去れなかったり、

振舞っては見たけど、これで良いのかな?
でもまだ、叶ってないなぁ・・・と確かめて見たり。

そんなこんなで、ヤキモキしちゃったりねぇー。

この辺りが引き寄せの法則のジレンマになってたりするんじゃないかな?
って思います。

引き寄せというネーミングがねー。
なんか、自分に何かしらの対象を引き寄せるぞ!
みたいな観念がくっついていますからねー。

叶ったふりとか言っても、
空気のようなもんで、
叶ってるんだとしたらもう目にも止めない、
単なる当たり前になってるわけで、どうでもよくなったりしますんでねー。

なので、究極の叶ったふりというのは、
もう、そのまんまでオッケーじゃん!
ってなことになってくるわけです。

「足るを知る」っていうやつですね。

足るを知るっていうのは、贅沢を言わず、無いままで我慢するっていうことじゃなくて、

もうすでに叶ってる。
すでに全部があり全部しかない。
足りないものなんて最初からなくて、ただ足りないっていう観念があっただけやったんやん。
っていう気づきなんです。

そうすると、もう、そのまんまでオッケー。
そのまんまがオッケー!

てなことが明らかになってくるわけで、
引き寄せの法則も必要なくなるんですよね。

そんな法則いらんかったんやん!という気づきが引き寄せの法則のゴールなのかもしれませんね。

結局のところ気分とは、世界を見る色眼鏡のようなもんなんですよね。
ホントはその気分そのものが世界そのものなんですね。

非二元では、この色眼鏡部分を幻想とか夢のようなものって表現されてるってわけです。

気分をコントロールしようとすると、どこかで逆に気分にコントロールされちゃったりするもんなんですけど、

たんなる色眼鏡があるってだけなんやん。
そういう気分がただ起こってるだけなんですやん。

そして、その気分は実は何もコントロールしてないんですやん。
良い気分も悪い気分もなく、ただメガネの色があっただけなんですやん。

てな感じで、どんな気分もそれはそれで良い。
良い悪いはないから、べつにあっても良い。

ってなってくると、色眼鏡が外れてくる。
気分が晴れてくる。

単純に在るが在るだけ。

てなことが明らかになってくるかもしれません。

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