「それ」が明らかになれば、自分とか誰かとかそう言ったものがないことが明らかになるわけでしょ?
だったらもう、人に対して怒ったりもしないようになるのん?
聖人君子のような人格のたかーい人格者になるのん?
ってね。
そんなわけもなく、人に対してイラっともするしカチンともくるわけです。
多分、私は悟りました!とかいって、聖人君子のような人がいたとすれば、
元々ものすごく人格の高い人か、
もしくは、ちょっと鈍い人か?
そういうのを演じてるのか?
のいずれかです。
ただ1つ言えるとしたら、イラっとしたこととか、
あのタコヅラのハゲチャビン、気持ち悪いわ〜って思ったとしても、
あまり長持ちしなくなります。
嫌なことを言ってくる人がいたとしても、
最初はカチンときて、
「アホ!目の前から消えろ!」
とか思うんですけど、
しばらくたつと、なんていうか嫌なことを言う人は、
その人自身の問題って言いますか、
なんていうか、大変やなーって思うと言いますか。
単純にその嫌なことを言う人にそう言わなきゃならないことが起こってるわけですが、
それも、その人ってのもいなくて、
ただ、起こることが起こってるだけなんですけど、
それでも、
わざわざ嫌なことを言わなきゃならないのはそれはそれでご苦労さんですなー。
ってな感じになってきて、
その後には、もう消えいってしまうんですよね。
あとで言われたことを思い起こして反芻しなくなってくるんですよね。
なので、随分と楽です。
以前は、反芻しては、腹を立てて、
また反芻しては腹を立てて、ってやってたんですけど、
腹を立てて損なわれる誰かっていう概念も希薄になってくるんで、
長持ちしなくなってくるんですよね。
それでいて、普通に個人の個性っていうものはあるんですけどね。
この辺は言葉で説明しようとすると、ものすごく奇妙なかんじです。
ま、いずれにしても聖人君子のようにはならないってことです。
私とかあなたはいない。
ただ在るがあるだけ。
ってのは、いわゆる個人に対して明らかになるんじゃないんですよね。
でも、じわりと個人に対して、なんか楽になるみたいな副作用的な効能みたいなものはどうも有るようです。
ま、それも個人ていう思い込みが溶けていくからなんですけどね。
結局のところ、個人ていう何かが有るわけじゃなく、
単純に思い込みの強さがあっただけなんですよね。